『大日本史料』 10編 23 天正2年6月~7月 p.55

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追手池の壇へ備を出し、利發に走廻りて見事なり、然れども、武田方岡部か攻口, 也、其外、林平吉・伊達與兵衞・吉原又兵衞・小池左近抔といふもの、高天神の, 田に隨ひ、甲州落去の後、小田原へ退たるを、北條氏直へ信長ゟ達て申さるゝ, るゆへ也、其中に渡邊金太夫と云は、姉川合戰に朱傘に金の短册のさし物ヱて、, 一番鎗を仕、日本第一の鎗と、信長より直判の感状に貞宗の脇指を添て給しもの, 小笠原に、富士の下かた鸚鵡と云所にて壹萬貫の所領を給る約束にて、城を明渡, 原城を渡す故、無是非御馬を被入、信長大に與八郎をそしり立腹也、小笠原は武, 向ひ、少もまくれたる色なく、すゝやかなるもやう成しも、能きものを數多持た, あげ、元龜二三月、信玄遠州働の節も、二千餘の人數ヱて武田の二萬餘の大軍ュ, す、信長は高天神の後詰に吉田まて被出、家康公は荒井迄御出馬成れとも、小笠, 猿もとりといふ郭を、七月二日に被乘取、小笠原不叶あつかひを入る、勝頼より, 與八郎は、去る永録十一年ゟ家康公ニ屬し、姉川の合戰ヱも初合戰を能仕て名を, 、同五月、武田勝頼遠州え出馬し、高天神の城小笠原與八郎長忠を責、此小笠原, 〔御先祖記〕, ○内閣文庫所藏, 乾, 天正二年六月十七日, 五五

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  • ○内閣文庫所藏

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  • 五五

注記 (18)

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