『大日本史料』 10編 6 元亀2年3月~同年9月 p.68

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付られ、始くうちあはする敵に、ひとしほはきすはいらゝなり、然れ共あ, 隱なき衆をあまた持たる武篇の家なる故、物見に出て、馬足輕を懸たる, 少もまくれたる色なく、結句信玄乃衆油斷乃もやうあるにつ〓くは、す, 熊備前を指置給ひ、三月初に遠州城東郡高天神へ御働也、去程に高天神, つて、しりも信玄公御馬をむけらるゝに、高天神衆二千餘乃少人數にく、, お間をりそへ、きつそとる〓き樣子一段健なるを、則時に信玄公御覽し, 小笠原與八郎國を一ともたぬ少身なりとい〓とも、家中にさすり隨分, 下乃高天神へ信玄自身乃旗をむけ、小笠原ほと乃侍をいくとりも引つ, 月廿四日に遠州こやまへ御馬を向られ、能滿寺の御普請少間被仰付、大, しくらゝり、味方も討死おほくある時は、小笠原小身ものといひ、家康旗, の城主長野信濃守衆の〓く利發に取まはし、武田勢二萬餘の大軍をも, 躰、信州乃村上衆、同國小笠原長時衆、諏訪伊奈乃侍大將達、或上野國蓑輪, され、富土乃大宮に三日御逗留まし〳〵、駿河田中へ御馬をうはされ、同, まてよせりけ、味方に手負死人澤山なれは、同前に敵を討取たるといふ, 一元龜二年辛未二月十六日卯刻に、信玄甲府を御立な, 〔甲陽軍鑑〕, 之下, 十一, 信玄ノ軍, 略, 元龜二年三月是月, 六八

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  • 499,701,59,2118付られ、始くうちあはする敵に、ひとしほはきすはいらゝなり、然れ共あ
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