『大日本史料』 10編 7 元亀2年10月~同年雑載 p.302

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其上信長我等と縁者組仕、信玄を馳走いたす〓皆いははり也、家康にそ, 康被官一人にて、越前衆三人あくらひにして、しりも勝利をうる、信長は, 康りりさなり、縱信長家康兩人同前乃働也といふ共、信長ぬ三萬五千人, 數、敵の淺井は三千なれは、はよおよはきを沙汰するそ、信長衆十一人し, くらをりひ、加勢を仕るく候間、信玄と取あひ候へと内談候く、此方へゐ、, 細は上方信長攻とるとたは、皆生替故り、弓矢よはた故り、城一落城を見, て、敵淺井衆一人をせむる、家康は五千也、敵乃朝倉義景ぬ一萬五千也、家, ならすして、姉川合戰信長負なるへきと、美濃近江の侍とも書付く越候、, 五千乃三河勢をもつて、淺井備前り同勢一萬五千乃越前朝倉義景を斬, 十一人にて、敵一人に十町あまりをはれ候、家康なくては、〓てなをす事, 年中に定而七度乃使をくれ、其外三度四度十度にあまりて音信仕る、子, 崩候故、備前もくはれ候時、信長とてなをし勝利を得たるし、悉皆徳川家, ては、近邊乃城五六もあけ候、東武士は、二度三度せりあひにをくれをと, 人數、敵乃淺井備前守三千にきりたくられ、十五町ほと迯たるに、家康え, り、或は大合戰に負たりとも、よはけなくて、せめては五年六年も、其所へ, 通ズルハ, 玄ニ好ヲ, 信長ノ信, 詐ナリ, 元龜二年是冬, 三〇二

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  • 通ズルハ
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  • 信長ノ信
  • 詐ナリ

  • 元龜二年是冬

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  • 三〇二

注記 (21)

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