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されとも徳川家乃酒井左衞門尉衆と、山縣衆とせりあひありて、山縣衆, 小菅五郎兵衞鑓下乃高名仕る、次日乃せりあひそ、吉田乃宿城にをひく、, 落城の御番勢に千五百殘をりれ、家康をの手あくありて、殘る一萬三千, 馬上にて家康一番乃侍大將、しらも家康をはむこ乃酒井左衞門尉と三, 大將にて、都合八千五百、家康に打むりひなされ候、信玄公惣軍は、西三川, 高名仕り候、廣瀬は馬上故人をうたす候なり、扨又其後山とをりうしく, 廣瀬江左衞門と家康方戸田左衞門と云者鑓をあはする、二番に山縣衆, 山屋とりあき、御旗をしくられ候へは、家康早々吉田へ引いれ申され候、, ほ、長澤迄御働なされ、やらて引返し、三川したら郡其外御仕置候て、五月, 之しな肥前と家康衆大津土左衞門と云侍と鑓合る、其節孕石源左衞門、, 度乃内二度〓はをあはせ、追こ足追出され、武篇を仕る、其時わしな、小菅、, 孕石、曲淵、辻彌兵衞、和田加介、長坂十左衞門たち此八人、馬よりおりをち, 追いれ追出され、三度せりあひあり、廣瀬江左衞門其日物見番にあたり、, つれ、出向ひ申され候處に、山縣三郎兵衞御先を仕、合戰をもつて、四郎殿, 半に御馬入申候、仍如件、, 元龜二年四月二十九日, 元龜二年四月二十九日, 一九四
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- 元龜二年四月二十九日
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- 一九四
注記 (18)
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- 1871,2446,43,110一九四







