『大日本史料』 10編 5 元亀元年10月~2年2月 p.981

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て、信虎公に頸をとられける、其くしま上總り子、父にはなれ、牢々乃躰な, ゐて、管領公八万あまりの人數を引請、城を落されさる故、氏康公利運に, 逢著ある故、取立給ふ、相州玉繩乃城を被下、北條左衞門大夫になさるゝ、, をひてあり、既に指物ぬきふりの四方に八幡大菩薩とら〓て、氏康公乃, るを、氏康公廿歳乃時、くしまり子も廿歳にて、氏康公今のくしまり子に, 先をいたす、氏康河越夜軍の御手柄も、此左衞門大夫河越乃城にこまり, なる、さるに付、北條左衞門大夫を關八州にて黄八幡と申也、むすこに左, 上總、甲州西郡まて發向いたし、武田の家老萩原常陸りはらり〓をもつ, 彼左衞門大夫武道の〓めに、八幡乃縁日潔齋する故り、武功の譽度々に, 胤ヲ攻ムルコト、本月二十八日ノ條ニ見ユ、, り、又父上總ぬ遠州高天神の城主くしま上總と申者の子なり、此くしま, 深澤乃城には北條左衞門大夫こもる、此左衞門大夫ぬ北條上總か子な, の競をもつて、駿相境目の城共あくる、其中そ, 見ませ合戰, 〔參考〕, 元龜二年二月二十三日, 甲陽軍鑑〕〓上一〓, 二〇, 〔甲陽軍鑑〕〓上一〓〓〓、三二、電方或ヲ地〓ハ條ニ收め、日, 一年十月六日ノ條ニ見ユ, ○三増合戰ノコト、永祿十, ル、永祿十二年十二月六日ノ條ニ收ム, 一○中略、信玄、駿府城ヲ陷ルヽコトニカ, 十一, 綱成, 氏繋ノ父, 黄八幡, 九八一

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  • 一年十月六日ノ條ニ見ユ
  • ○三増合戰ノコト、永祿十
  • ル、永祿十二年十二月六日ノ條ニ收ム
  • 一○中略、信玄、駿府城ヲ陷ルヽコトニカ
  • 十一

頭注

  • 綱成
  • 氏繋ノ父
  • 黄八幡

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  • 九八一

注記 (28)

  • 1082,728,61,2124て、信虎公に頸をとられける、其くしま上總り子、父にはなれ、牢々乃躰な
  • 388,733,61,2122ゐて、管領公八万あまりの人數を引請、城を落されさる故、氏康公利運に
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