『大日本史料』 10編 1 永禄11年8月~同12年2月 p.378

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に城を取、普請を被仰付、穴山梅雪を指置給ふは、穴山入道興津につゝき, ても如此、以上、, く乃いつしきに、長谷川次郎左衞門と申有徳仁、是は粉川ほうゑいり子, 老小原肥前、遠州懸川に朝比奈備中、是も小原同前乃侍大將なり、藤枝と, 尻をきりて陣取被成なり、氏眞は懸川へつほみ給ふり、ときの山家にま, へ指越、其人々の郎等内乃者上下各を甲州下山へかたつけ、興津の横山, るは、久敷家の驗第一れり、三浦右衞門か年月諸人に慮外のは〓をしに, 也、遠州高天神の城には、小笠原居候へ共、是は城飼郡を持身かまへをし, て、さのみ氏眞公にも取あひ申さす候、氏眞公をは、朝比奈備中懸川へい, とる下山を知行さらるゝゆへ也、又庵原彌兵衞と云侍、小身なれとも武, しますか、小田原北條家より、氏眞をすけるかよ級はをきゝ合給ひ候う, れまいらせ、今川乃旗本衆武篇ほまれの人々多罷有、氏眞公を大切に仕, 一信玄公、駿府かこかはなに御旗本を陣取、先衆は八幡、くつ乃や、うは原、江, ちに、今川家廿一頭、信玄公へ内通仕とる侍大將衆の人質を取、甲州府中, 篇た〓うありて、今川家にて人の許れる者也、其上山本勘介によろは物, 永祿十一年十二月十三日, 信玄興津, ニ穴山梅, 雪ヲ置ク, 永祿十一年十二月十三日, 三七八

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  • 信玄興津
  • ニ穴山梅
  • 雪ヲ置ク

  • 永祿十一年十二月十三日

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  • 三七八

注記 (21)

  • 400,759,71,2126に城を取、普請を被仰付、穴山梅雪を指置給ふは、穴山入道興津につゝき
  • 1102,752,54,420ても如此、以上、
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