『大日本史料』 10編 4 元亀元年2月~同年9月 p.721

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ゑまとめ、駿州へ御馬を入られ、駿河中城之半造作なるを御普請可被仰, 乃山は大形陣取なり、にら山筋をは、信玄公惣軍に被仰付、かつ田働あり、, られ候、北條家先衆え三嶋乃上迄取はゝき、跡ぬ箱根に陣取、三嶋より上, 韮山筋かつた働御存分のことく被仰付は、同年四月、深澤の城まはり夏, あまり〓たて、三万七八千計の人數を五十備あまりにたくらるゝ、信玄, 御旗本は小山田兵衞尉、馬場美濃二頭御先にく、三嶋に御馬を立られ、小, とある所に、氏政惣手をまとめ、山中乃人數をおろし、三嶋の北に三十町, 作、或うへ田を北條殿けりちらし給ふ故也)、さ候て、信玄公惣人數を三嶋, 付、北條家乃惣人數を左に見、はつおをのほつて、箱根の宿へ押込、北條衆, 田原衆を御旗本計をもつてをさへられ、馬場美濃、小山田兵衞尉に被仰, 〔甲陽軍鑑, 氏康ぬ出なされす、子息氏政三萬八千の人數をもつて、山中に馬をたそ, を馬場、小山田兩手へ六十七頸をとりて歸るに、少もあやうた事なし、扨, 一永祿十三年九月初に、信玄公伊豆にら山へ働給ふに、, 北條左衞門大輔殿, 正月三日, 正月三日寄衆, 元龜元年八月十二日, 十一, 之下, 元龜元年八月十二日, 七二一, 寄衆

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  • 十一
  • 之下

  • 元龜元年八月十二日

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  • 七二一
  • 寄衆

注記 (23)

  • 499,731,62,2131ゑまとめ、駿州へ御馬を入られ、駿河中城之半造作なるを御普請可被仰
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