『大日本史料』 5編 2 貞応2年6月~嘉禄元年12月 p.183

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の空かな、なかめなれてや人はゆくらん、, 大磯やこいそのうらのうら風にゆくともしらすかへる袖哉, きく、一生のおもひ出、今夜の泊りにあり、, の松にかへし、來宿疎人は、契を同驛のむしろにむすふ、彼草につなく疲馬, あらそひ、後園町段緑衫を万きやうの竹にかり、時に暮行日脚は、景を遠嶋, は、胡國を忍ひて北風に嘶へ、野にやすむ群牛は、呉地にならひて夜の月に, 行とまる磯邊のなみのよるの月旅ねの袖にまたやとせとや, あかりて、白馬ならひわたる、しかのみならす、前汀東西素布を長疉の浪に, さかみ川をわたりぬれは、懷島に入、砥上か原を出、南のうらを見やれは、な, 大磯のうら小磯のうらをはる〳〵とくれは、雲のかけはしなみのうへに, と云淵にて、底のみくつと沈みにけり、, 喘、棹歌數聲舟船を明月峽のほとりによせ、松琴万曲琵琶を〓陽江の汀に, みのあやをりはへて白き色をあらひ、北原をのそめは、草の緑そめなし淺, うかみて、かさゝきのわたしもり、あまつ空にあそふ、あはれさひしきたひ, 十七日、逆川を立て平山を過て、高倉宰相中將範茂、筥峰山のうみしり急河, ○中略、承久三年七月五日、, 同月十八日ノ條ニ收ム, 急河, 第十四日, ノ行程, 相模川, 懷島, 大磯, 小磯, 砥上か原, 貞應二年雜載, 一八三

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  • ○中略、承久三年七月五日、
  • 同月十八日ノ條ニ收ム

頭注

  • 急河
  • 第十四日
  • ノ行程
  • 相模川
  • 懷島
  • 大磯
  • 小磯
  • 砥上か原

  • 貞應二年雜載

ノンブル

  • 一八三

注記 (27)

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