『大日本史料』 6編 34 応安4年閏3月~応安4年12月 p.277

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あら磯の道よりもなほ足曳の山たち花・のさかそくるしき, けになりにたりとて、村雲のあしはやくきをひ來たり、, の名をも外の海といふ也、磯きはよりつゝらおりにのほる坂有、橘坂とそいふ、, といふも侍し也、つりするあまの舟とも、嵐にむかひていそかはしけにくるもみゆ、雨, 夕しほにつれてやきつるいとゝしくあしはやふねのとたの入うみ, 海はるかにて、こしまともの名もしらぬかいくらもうちつゝきたり、其中に又いつく嶋, の城なといふも、雲ゐはるかにうちかすみつゝみえたり、かのすみ所なと思ひやらぬに, たてまつりぬ、その日は暮ぬほとに、富田といふうらにつきたり、是も北西をかけて入, います、その御前のはまのしほひのかたはるかなるおきに、大なる石のさきあかりてみ, しも侍らす、此海つらはなみいとたかし、是より外の海になりぬとそ申める、やかて浦, え侍、是をとを石とは申とかや、人こそしらねとそいはまほしきや、此御神にも上矢一, にとゝまりぬ、廿二日なるへし、又の日は、遠石のうらとて山本南に向て、八幡の御社, 廿四日、周防の國府につき侍、道のほとも南はうすみいてたるすゑに、嶺ともの學繪に, かきたるやうにみえたる、そのふもとに大なる島は、姫嶋とて豐後の國なるへく、高崎, 國府, 崎城ヲ望見, 豐後姫島高, 外の海, 富田ニ宿ス, 橘坂, 遠石浦, ス, 南朝建徳二年北朝應安四年九月二十四日, 二七七

頭注

  • 國府
  • 崎城ヲ望見
  • 豐後姫島高
  • 外の海
  • 富田ニ宿ス
  • 橘坂
  • 遠石浦

  • 南朝建徳二年北朝應安四年九月二十四日

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  • 二七七

注記 (24)

  • 289,675,58,2010あら磯の道よりもなほ足曳の山たち花・のさかそくるしき
  • 1101,614,57,1402けになりにたりとて、村雲のあしはやくきをひ來たり、
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  • 1214,614,61,2235といふも侍し也、つりするあまの舟とも、嵐にむかひていそかはしけにくるもみゆ、雨
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  • 1331,611,60,2238海はるかにて、こしまともの名もしらぬかいくらもうちつゝきたり、其中に又いつく嶋
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