『大日本史料』 10編 7 元亀2年10月~同年雑載 p.301

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へ味方を捨歸たる時、家康若狹乃國へ働、同勢乃信長に捨られ、三川勢五, へなをしまいらする、彼箕作は家康内乃松平伊豆守と云者、手りらをし, 信玄望み是也、然は小田原押をゝらす、氏政人質を取、人數を少も出させ, く攻おとす、信長金崎より、北近江淺井備前守に機遣、退口之たりに岐阜, も乃見て、乃矢をもつて、跡をしたふ若狹侍よお武士を六人いころした, 出、家康をさへ押失候はゝ、都まくの間に、恐くぬ信玄り手にたつもの一, なる内に、遠州、三河、美濃、尾張へ發向して、存命の間に天下をとつて、都に, りゝりて、人數乃穿鑿そこ〳〵見ほく〔ひ候間に、煩惡なるに付そは、健, 候はゝ、甲州勢を三萬餘ならん、此勢をもつて、都を心懸、三河、遠州へうち, 旗をたて、佛法、王法、神道諸侍の作法を定め、政をたゝしく執行はんと乃, 人も有ましく候、子細え信長江州箕作乃城を攻おとし〓る故、公方を都, 千乃人數をもつて、少もけりなく引とる、家康旗本内藤四郎左衞門と云, 界なれは、少しと〓こほる事有ましく候へ共、さありて仕置旁に來年中, るときゝてあり、去六月廿八日に、江州あ〓川合戰にも、信長三萬五千乃, へ押詰燒拂、其上見ま瀬合戰にらち、數ケ所の城を攻とるに、殊更氏康他, 元龜二年是冬, 上洛ハ容, ヲ得レバ, 兵ノ參加, 信長家康, 易ナリ, 兩軍ノ怯, 北條氏ノ, 勇, 元龜二年是冬, 三〇一

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  • 上洛ハ容
  • ヲ得レバ
  • 兵ノ參加
  • 信長家康
  • 易ナリ
  • 兩軍ノ怯
  • 北條氏ノ

  • 元龜二年是冬

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  • 三〇一

注記 (26)

  • 576,779,66,2111へ味方を捨歸たる時、家康若狹乃國へ働、同勢乃信長に捨られ、三川勢五
  • 810,778,63,2115へなをしまいらする、彼箕作は家康内乃松平伊豆守と云者、手りらをし
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