『大日本史料』 10編 6 元亀2年3月~同年9月 p.70

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を仕る、其乃ち内藤方衆をもつて人數りさみ、敵乃立所なおやうにいた, 則彼矢嶋をめし出され、百貫被下候、高天神にをひくも、梯乃差物にて鑓, 後せりあひをはしめ候、内藤同心矢嶋りゝつて鑓をあはする、此矢嶋久, 候働を、信玄公御覽なされ、敵乃長野内にて七貫取とるに、蓑輪御手に入, とすれは、鉄炮弓をもつてうちすくめ、いとちられ候故、小笠原衆出事な, すによわ、さすらに自慢乃小笠原衆、内藤修理衆に押たそられ、城内まて, 物にして、城内よりはいて出、甲州旗本乃足輕大將城伊庵と鑓を合、二度, らす、其後内藤信玄流のくりひきを仕、大あとは長蛇乃備を用てとて、勝, 目には、弓を持て城伊庵額へ射付候時、矢乃曲足たるをとめなをして射, 追こまるゝ、其後小笠原衆も門を開、ほいそいてんといひつまとも、内藤, 左衞門は、蓑輪落城の時長野衆なるり、白〓練をもつて、わつこ乃梯を差, はらりあらけ、弓鉄炮足輕を段々に形儀をとてたれは、敵門をひららん, 修理弓矢功者乃名人なれは、門際へ詰よする、殊更になく門前を二十枚, 利乃つ〓いくさは、惣りゝり乃付いれと合戰を持候へは、是を見とり、武, 篇乃家小笠原衆覺乃者共、弓矢乃色を能さとわ、其後し出す候、信玄公被, 元龜二年三月是月, 元龜二年三月是月, 七〇

  • 元龜二年三月是月

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  • 七〇

注記 (18)

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  • 1905,743,45,337元龜二年三月是月
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