『大日本古文書』 伊達家文書 10 伊達家文書之十 p.585

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て、進退自由ならさ御によ〓、備を二にりを、銕炮二百挺弓五十張長柄百本乃人衆を片山, 臣片倉小十郎重綱士卒千餘を率ゐて、道明寺口片山の麓に軍をすゝむ、こ乃所狹隘にし, 万八千人を率ゐて進發す、十一月十日伏見に着陣し、十一日宇治に屯し、十六日橋本に陣, て、木津に陣をうつす、二十三日政宗、京極高次同高知松平忠義堀尾忠晴松平忠雄蜂須賀, 山平野岡山等にまいりて、しは〳〵軍議〓あつかる、二十九日陣を仙波にうつす、其夜、敵, 仙波乃町を燒、〓ゝちそ引去、政宗これを撃む事を欲すとい〓とも、上旨はのりか〓めに, 奈良口の御先手をう〓たりはり、忠輝朝臣に副られ、こ乃夜河内國國府に陣す、とをに家, をうすし、十七日平岡に野陣す、十八日矢尾の河邊に陣を張、二十日、兩御所乃仰によ, 〓し、四に、濫妨にワたれるは罪科に處す〓し、五に、うは矢よくせしものは褒賞すへしと, 打〓し、三そ、各乘いるといへとも、うは銕炮乃ものは手况ちらさす、合戰の用意肝要〓ふ, り、十七日登營せお乃とこあ、一番に軍を押へきむ手仰下され、二十日騎士七百餘、惣勢一, 仕寄せしを賞をられ又今井宗薫出下され〓、奈良酒一〓蜜柑二籠を〓まふ、九日早朝よ, より、終に果ざす、十二月五日弓火矢二張五十目の銕炮三十挺を東照宮にこひたそ, してこれをばもらしめ、箱根乃關所にをくる、こ乃ときにあたりて、台徳院殿も三島に, なす、こ〓是成は父入道宗是か代より、政宗よしみあるによりてな〓、十六日江戸にいた, つ〓て、陣に備ふ、この夜住吉乃御陣營に參る乃ところ、政宗か陣取、衆に抽て敵地に近く, 着御あり、こじ事戌きこしめされ、政宗に御壹つねありて、則是成を三島乃御代官井出藤, 至鎭藤堂高虎とゝもに、住吉乃御陣に參るのとこあ、政宗は御前にとゝめられて、仙波口, 〓し、同心にをいそはかさ〓て墨附をもつな申いれらるへしとな〓、政宗やかて家臣を, 左衞門正信佐野平兵衞正重にめしあつ〓られ、大坂乃亂〓むらくのゝち、こふて家臣と, 旨を乃へていふ、大坂若輩のをの集〓て、騷動するのきこセあるによ〓、東照宮御氣色, 乃軍事を議せられ、日暮にをよひて陣所にかへお、乃ちまた兩御所の御陣營、住吉茶〓, れ〓、二十三日東西和議成により、諸將に命して、石壘を崩し、堀を埋めらる、政宗もまたこ, り弓銕炮乃士卒三千餘人を饗し、法令五箇條を自書し、こ〓をしめす、一に、一の〓をと〓, の事に與かる、二十八日台徳院殿より辱き御誤ありて、伊豫國の内にをいて、十万石乃, もむく、四月第たゝひ大坂の役あおにより、九日江戸を發し、五月三日奈良そ着陣し、五日, 地を、男伊達遠江守秀宗にゑまふ、秀宗は忠宗の庶兄なり、元和元年三月二十日江戸にお, 〓るものは壘壁を乃るへし、二に、二乃鬮を取〓るは堀際にをしよせ、すきヌなくうは矢, よからす、政宗事は兩御所乃恩遇あつきものなれは、このすむの事よ法しく申和らく, 附録, 五八五

  • 附録

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  • 五八五

注記 (31)

  • 267,765,47,2127て、進退自由ならさ御によ〓、備を二にりを、銕炮二百挺弓五十張長柄百本乃人衆を片山
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