『大日本史料』 12編 31 元和五年七月~同年十月 p.158

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く敗走を、惟新も旗本と先手との間ををしへたてられ、危く見で々れは、, 等反逆のよし注進あるにより、まつか乃逆徒を誅せらるへしとて、台〓, を西にかへされ、九月十四日、美濃國赤坂に御著陣あり、よりて三成をは, ほしめされん、しろるときき、永く家乃瑕瑾たるへし、芳志の辱きはわす, 籠城す、かくて東照宮下野國小山に御在陣乃ところ、上方にをいて、三成, に大坂の催促にしたろひ、伏見城乃寄手にくはゝり、のち美濃國大垣に, 言秀秋にはろに志を變し、大谷吉繼か備を切崩せしかは、敵軍こと〳〵, 〓たてま平多にあらす、よりて兵を國にめさす、僅にありあふ人數を率, 姪中務大輔豐久、旗本にはせきたり、戰ひもはやこれまてとみえたり、某, とり、惟新き藤川をこを、小關乃南巽にむろひて陣をはな、十五日早旦、御, しめ、諸軍、其夜大雨をしのき、牧田の間道を經て、關原にはせむかひ備を, 先手乃諸將、關原に出張し、東西の兵刄すてにましは〓、ときに筑前中納, 御味方となるとも、嶋津家の誓約き信しかたしと多、た乃もしからすお, ゐ、せゝ敵陣に駈いりて、討死を急くところなり、家の事は、國に龍伯、家久, あり、もとよりこ乃擧にくはゝらされは、謝し申むあをへしとキ多、つゐ, 元和五年七月二十一日, 美濃大垣, ニ籠城ス, 關原ノ戰, 一五八

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  • 美濃大垣
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  • 一五八

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