『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.325

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五月七日、公軍を帥ひて八尾を發す、前日平, れて、野中の觀音堂乃東より小橋野, 川家乃軍士等、毛利か勢としは〳〵合戰にをよふ乃ところ、毛利終にやふ, により、高虎馬廻の者を率して、天王寺の町口に陣し、先手乃輩はなを柵際, りをりて鎗をあはす、こゝにをいて、をの〳〵返し〓ゝかひて首を獲たり、, 七十餘騎、雜兵死するものまたおほし、, あはせ奮ひたゝかひ、味方これかために崩る、ときに高虎か騎兵四人、馬よ, をかたむ、この日うち取所の首七十九級、使をもつて兩御所乃御本陣に献, ひて城に入むとす、高虎すゝむて黒門前に旗をたり、日すてに暮にをよふ, て玉造乃柵際にいたよ、ときに城中火起りて、敵乃惣軍すてに敗れ、諸勢競, 野にて打取る首級を獻し給ふ、公前軍を桑津に進め、兩御所の軍令を待つ、, すてにして敵兵大にやふれ、築山乃東西に乃かれ去しかは、先勢こ〓を追, を北に退きしかは、味方こ〓, を追て築山乃前にいた品乃ところ、敵俄に銕炮をうちかき、七八十騎返し, 〔高山公實録〕, す、凡兩日のたゝかひ、得るところの首八百六十七級、家臣等討死するもの, 信等をして、先手をたすきしむ、これよりさき高虎、直孝等か先勢、をよひ細, 同, ○東區小, ○元和, 橋元町邊, 元年, 三十, 六, 死者ノ數, 獲首及戰, 藤堂隊ノ, 等毛利勝, 永ト戰フ, 高虎直孝, 元和元年五月七日, 三二五

割注

  • ○東區小
  • ○元和
  • 橋元町邊
  • 元年
  • 三十

頭注

  • 死者ノ數
  • 獲首及戰
  • 藤堂隊ノ
  • 等毛利勝
  • 永ト戰フ
  • 高虎直孝

  • 元和元年五月七日

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  • 三二五

注記 (32)

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