『大日本史料』 12編 18 元和元年四月~同年五月 p.802

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五月六日乃鷄明、かの生捕を斬て, せ歸りて、西乃かた八尾若江, よしみに此首拜領仕弔へ申度よし申上候間、右衞門太夫ニ被下、則星田, かり少からす、我すみやかに御本陣に參りて、御む手を請はむ、其間は靜に, 被成よしニて右衞門に被下候、殘は皆御成敗、六日の日暮時分平野ニ御, は右衞門太夫ニ御預、三人は上野介ニ御預、其内壹人敵陣の義を御尋可, ニて寺に納置、御陣相濟後葬禮佛事てい〓いニ仕候、生捕五人之内二人, 軍を押て、下知を待へしといひすてゝ、馬をはせ須奈におもむかんとすな, 〓祭し、其手乃諸勢飯盛街道を南にむかひて軍を押乃ところ、斥候乃者は, 乃際にあたりて、人馬乃音漸近より, 乃ところ、霧漸くは殺しかき、道すつらの〓み見るに、平野より出來るとこ, 表に出張すへきむ手なり、しかなを台慮を得すしてあらためむことはゝ, 聞ゆ、しかれとも霧〓つくして、其形勢を見ることを得すと報し、先手より, ○以下藤堂高虎ノ事ニ係ル、, もまたこのことを告きたる、高虎おもへらく、すてに昨日乃御軍令道明寺, 藤堂高虎, 〔寛政重修諸家譜〕, 着、, 元和元年五月六日, ○中河内, 郡若江村, 和泉, 守、, 百, 九, 戰況〓略, 藤堂隊ノ, 大坂勢八, 面ニ出ヅ, 尾若江方, 八〇二

割注

  • ○中河内
  • 郡若江村
  • 和泉
  • 守、

頭注

  • 戰況〓略
  • 藤堂隊ノ
  • 大坂勢八
  • 面ニ出ヅ
  • 尾若江方

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  • 八〇二

注記 (31)

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