『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.790

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勝れし美男たりしとかや、誠おしむへき事也、, 次男大學亮は父兄と一所にしゝかひて乘割、後へ出たれは軍なし、又取て, ニ信濃守御留守居たるへきよし也、秀政の嫡子信濃守忠脩、次男大學之助, 小笠原兵部少輔秀政、冬御陣ニは御留守たりし、今年御供被仰付、依て國元, るに、家來淺香角兵衞、敵の馬を一疋奪來り、大學亮を乘せ、其馬を打て駈歸, 返し戰ふ時、わにかの侍共討死し、自分も深手負半死半生にてみぞへ落々, 忠政と云、然るに信濃守夏御陣同留守たるへき由の處、潛ニ大坂え上る故、, 故、家老二木勘右衞門申曰、兎角御存命にては相立難き間、某切腹の御先仕, 大御所樣の思召ニ合す、依て天王寺〓合戰の時討死せしと也、實は手負た, らんとて切腹す、信濃守尤と同し、心靜に支度して切腹すと也、此信濃守は, るといへとも討死はせす、陣屋に歸りたりしかとも、上の御意に叶はさる, る、大音聲にて、殿は角兵衞が助ケ候ぞ、忘れ給ふなと、大學亮尻をつめりつ, 小笠原兵部大輔父子の事、并武勇始終の夷, 迄は敵は不來なり、, 〔落穗雜談一言集〕〓小笠原兵部大輔、其嫡子信濃守、大坂夏御陣に討死、, 〔慶元拾遺大成〕, 〔慶元拾遺大成〕〓小笠原兵部大輔父子の事、并武勇始終の袁, 小笠原兵部大輔、其嫡子信濃守、大坂夏御陣に討死, 〔落穗雜談一言集, 八, 十, 後自盡セ, シトノ説, 忠脩負傷, 淺香角兵, 忠政ノ働, 衞, 元和元年五月七日, 七九〇

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  • 後自盡セ
  • シトノ説
  • 忠脩負傷
  • 淺香角兵
  • 忠政ノ働

  • 元和元年五月七日

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  • 七九〇

注記 (29)

  • 709,632,58,1367勝れし美男たりしとかや、誠おしむへき事也、
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