『大日本史料』 10編 14 天正元年2月~同年3月 p.306

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六騎、此警固御旗本足輕大將小幡又兵衞差をかるゝ也、かくありて三川の吉田へ取つめ, 家中の者三十騎に信州浦野を被仰付、宮崎のとりてに置給ふ、足助の下條、伯耆組故、, は、肝要の事きはまる所、北條家をかたらひたると沙汰あれは、少は弓箭の手柄不手際, をかれ、家康を押られ、吉田を御攻有やうにとの儀也、信玄公仰らるゝ、左樣にありて, ろ・高尾・孕石主水・由井市丞・由井彌兵衞・小林正琳・郡内の安左衞門上下合て七十, 候により、冬の御陣よりは御人數四千あまり是にひけ申候へ共、敵去極月をくれ申候間、, らるへきとある時、各侍大將衆申上るは、小田原御人數一万御よひなされ、濱松面に差, 八千餘をもつて吉田を力せめにと被仰付、馬場美濃申は、只今夏に罷成、越後の押御座, 人數一万預て、家康を押、相殘る人數をもつて吉田の城を無理攻に申付、旗本は組共に, に候間、家康手宛には四郎・穴山・典厩三人〓取にさせ、取あたりたる者を大將にして, 岩村へ參り、其跡へ伊奈はるちか五人衆・平屋玄蕃・波相備前・こまんは丹波・きとこ, 吉田の在郷山に備をたて、馬場美濃守・内藤修理・小山田兵衞尉三頭を旗本の先に相定, 大事御座有ましきかと存候、ちとあやしき儀は、各ひと精出し候はゝ、軈而御利運なり, 山縣三郎兵衞を警固して、上野・信濃・駿河にて五十騎・百騎の備共に山縣組共に合、, ノ守備ヲ嚴, 同國吉田ヲ, 同國足助城, 攻ントス, 二ス, 天正元年三月是月, 三〇六

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  • ノ守備ヲ嚴
  • 同國吉田ヲ
  • 同國足助城
  • 攻ントス
  • 二ス

  • 天正元年三月是月

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  • 三〇六

注記 (21)

  • 1383,753,58,2124六騎、此警固御旗本足輕大將小幡又兵衞差をかるゝ也、かくありて三川の吉田へ取つめ
  • 1715,743,58,2098家中の者三十騎に信州浦野を被仰付、宮崎のとりてに置給ふ、足助の下條、伯耆組故、
  • 1052,764,58,2117は、肝要の事きはまる所、北條家をかたらひたると沙汰あれは、少は弓箭の手柄不手際
  • 1160,755,60,2123をかれ、家康を押られ、吉田を御攻有やうにとの儀也、信玄公仰らるゝ、左樣にありて
  • 1491,751,60,2127ろ・高尾・孕石主水・由井市丞・由井彌兵衞・小林正琳・郡内の安左衞門上下合て七十
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