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し、如此士格以上には武市の説を入るゝ者稀なり、偶々有之も、眞の勤王家に非す、吉田氏の權, 威を妬む徒なり、就中雨森源右衞門・武藤小藤太・園村新作等尤も甚敷、武市の説を以て、私意を, りしならん、因つて事の敗れんを憂ひ、同志軍周旋せり、武市は決心して、若し事成らずは、政, 眞に勤王論に非す、小南等へ交り、時機を得んとせるならん、此際園村・武藤等の徒、予輩の同, あり、是れ門地家にて、小八木五兵衞の派なり、依つて平素派違なる小南五郎右衞門、先年幡多, 果さんと巧みたりと云ふ、自分共同志五六輩は、其の奸を知れ共、武市派は其奸人なるを知らざ, りたれば也、)武市は、一刀流の師匠にて、郷士以下の門下數百人あり、故に郷士以下勤王家尤も多, 云ふ、果して然る歟、其譯は、山川は門地家にて、吉田派にも相交り、本山只一郎は、太守樣, 御側物頭たり、自分は、當分文武調役たる故ならん、右之如き場合、自分は十一月より大患に罹り、, 郡に蟄居し、此頃歸住せるに、小八木より懇意を相通したる由、畢竟吉田の勢を挫くの策にて、, 志を目し、吉田派を目し、吉田派に意脈を通ずと、武市派に離間し、武市派も疑念を起したりと, と云ふ、武市等大に憂慮し、百方周旋するも、士分以上には同志之敷、免角佐幕家多し、此頃馬, 廳にて割腹して、吾か赤心を示さんと云へり、又武藤・園村等の外に、尤も吉田派を疾惡せる徒, 武市等歸國し、僅に三十日間にて、其後の事を知らず、病中武市も兩〓計見舞に來り、亦同派の, 場源馬の狂歌あ「勤王と朝敵殿と半平太日和見たらは雨は揚屋」(雨森源右衞門不埓の廉にて、此頃罰あ, 卷十五慶應二年, 三一〇
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- 卷十五慶應二年
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- 三一〇
注記 (17)
- 1481,592,59,2320し、如此士格以上には武市の説を入るゝ者稀なり、偶々有之も、眞の勤王家に非す、吉田氏の權
- 1370,586,59,2322威を妬む徒なり、就中雨森源右衞門・武藤小藤太・園村新作等尤も甚敷、武市の説を以て、私意を
- 1149,595,58,2316りしならん、因つて事の敗れんを憂ひ、同志軍周旋せり、武市は決心して、若し事成らずは、政
- 706,584,58,2323眞に勤王論に非す、小南等へ交り、時機を得んとせるならん、此際園村・武藤等の徒、予輩の同
- 928,592,58,2313あり、是れ門地家にて、小八木五兵衞の派なり、依つて平素派違なる小南五郎右衞門、先年幡多
- 1259,590,59,2319果さんと巧みたりと云ふ、自分共同志五六輩は、其の奸を知れ共、武市派は其奸人なるを知らざ
- 1591,592,59,2320りたれば也、)武市は、一刀流の師匠にて、郷士以下の門下數百人あり、故に郷士以下勤王家尤も多
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- 1038,588,59,2321廳にて割腹して、吾か赤心を示さんと云へり、又武藤・園村等の外に、尤も吉田派を疾惡せる徒
- 263,592,60,2305武市等歸國し、僅に三十日間にて、其後の事を知らず、病中武市も兩〓計見舞に來り、亦同派の
- 1702,592,59,2316場源馬の狂歌あ「勤王と朝敵殿と半平太日和見たらは雨は揚屋」(雨森源右衞門不埓の廉にて、此頃罰あ
- 1923,733,44,471卷十五慶應二年
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