『維新史』 維新史 4 p.100

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等を伴つて水戸に向つた。武田耕雲齋及び山國兵部亦陰かに此の行に加つた。, が行はれ、執政佐藤圖書・同朝比奈彌太郎は共に其の職を免ぜられた。, なつた。八月四日頼徳は家老榊原新左衞門・同大久保甚五左衞門・同鳥居瀬兵衞, 的を達することが出來ず、新左衞門等が藩邸に入るに及んで、六月二十七日政變, いので、其の目代として支藩宍戸藩主松平頼徳, た。江戸藩邸の市川・朝比奈一派は途中に之を抑留しようとしたが、遂に其の目, ある榊原一派とは對立の形勢を釀したのである。此の時に當つて藩士中には、, うじて其の軍資金と糧米とを支へてゐた。故に幕軍と長期に亙つて對陣する, 藩主徳川慶篤の歸藩を願ふ者があつたが、慶篤の下國は容易に行はるべくもな, 筑波勢は下妻の戰に勝利を得たが、素より烏合の衆であつて、徴發によつて辛, ことは不可能であつた。且つ擧兵の目的は攘夷を促進するにあつて、幕軍と戰, 結城に退陣した市川勢は、今や江戸藩邸に入ることが出來なくなつたので、杉, ふのは其の素志でなかつた。よつて機を見て横濱を襲撃することに決し、一先, より轉じて水戸に移つた。茲に於いて水戸にある市川一派と江戸に, を水戸に下らしめることと, 戸驛, 葛飾郡, 武藏北, 大炊, 頭, の水戸出, 松平頼徳, の水戸占, 市川一派, 筑波勢の, 水戸襲撃, 據, 向, 第十三編禁門の變及び第一囘征長の役, 一〇〇

割注

  • 葛飾郡
  • 武藏北
  • 大炊

頭注

  • の水戸出
  • 松平頼徳
  • の水戸占
  • 市川一派
  • 筑波勢の
  • 水戸襲撃

  • 第十三編禁門の變及び第一囘征長の役

ノンブル

  • 一〇〇

注記 (30)

  • 685,578,57,2300等を伴つて水戸に向つた。武田耕雲齋及び山國兵部亦陰かに此の行に加つた。
  • 1508,592,59,1953が行はれ、執政佐藤圖書・同朝比奈彌太郎は共に其の職を免ぜられた。
  • 798,587,59,2280なつた。八月四日頼徳は家老榊原新左衞門・同大久保甚五左衞門・同鳥居瀬兵衞
  • 1621,590,62,2277的を達することが出來ず、新左衞門等が藩邸に入るに及んで、六月二十七日政變
  • 920,594,57,1322いので、其の目代として支藩宍戸藩主松平頼徳
  • 1736,596,63,2271た。江戸藩邸の市川・朝比奈一派は途中に之を抑留しようとしたが、遂に其の目
  • 1149,586,61,2295ある榊原一派とは對立の形勢を釀したのである。此の時に當つて藩士中には、
  • 454,588,57,2266うじて其の軍資金と糧米とを支へてゐた。故に幕軍と長期に亙つて對陣する
  • 1038,583,59,2282藩主徳川慶篤の歸藩を願ふ者があつたが、慶篤の下國は容易に行はるべくもな
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  • 340,591,57,2267ことは不可能であつた。且つ擧兵の目的は攘夷を促進するにあつて、幕軍と戰
  • 1389,648,63,2217結城に退陣した市川勢は、今や江戸藩邸に入ることが出來なくなつたので、杉
  • 216,591,57,2262ふのは其の素志でなかつた。よつて機を見て横濱を襲撃することに決し、一先
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