『保古飛呂比』 保古飛呂比 2 元治1年~慶応3年 p.306

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は足利尊氏、魏の曹操を以、天下の英雄とし、暗に楠公・孔明を〓蔑する口氣あり、, て頓著せず、剩へ天子は辨毛の如き物なれば、決して頼むに足らずと、輕〓の言を發するに至る, 文久元酉年九月下旬、武市半平太江戸より歸國し、大に勤王論を主張したれども、吉田氏はすべ, 今日學名の高きも信ずるに足らず抔、喋々たり、萬延三月井伊侯の變あるや、勤王家は愉快と大, 見候也、是〓は御時節柄にて、大御隱居樣も御不自由の御事も有之たれども、吉田は其邊は御不, 容堂公國事に御關係御周旋被遊候事は、御氣遣有之由之處、吉田は佐幕論を唱へ、内心は機會を, 壯年の時一朝の怒りに從僕を切害し、心に疾しき處あつて安眠する能はず、故に夜間尤も勉學す、, 呼するに當り、吉田氏の門下生は是れに反し、赤穗四十七士を〓せて大法を敗れる賊と唱へ、或, 級を改正し、簡易とす、其成効も近きにあらんとせり、惜らくは性倨傲にして、人言を入れず、, 奢侈自尊に厚し、故に人心服せず、俗輩に至つては、吉田の非を揚け、其甚敷に至つては、吉田, 自由なき樣御仕向けありて、君公の御入費は減少せず、容堂公の御邸を品川邸へ美麗なる御建築, 資公、容堂公の御伯父景翁と奉唱候御方は、御老年にも在り、所謂大平の御大名なれば、, 等の仕組あり、右の如くにて、萬事意の儘に被行、大ニ藩政を改革せんとし、既に海南政典の編, 輯あり、專ら松岡七助, 擔當す、又武館を設立し、土格を初め如以下の階, 陳腐とす、太守樣御隱居と相成り、御幼年の豐範公御相續被仰蒙、豐範公の御實父大隱居豐, 松岡は、元郷士、文才あり、, 吉田に得られ、技擢せらる、, 卷十五慶應二年, 三〇九

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  • 松岡は、元郷士、文才あり、
  • 吉田に得られ、技擢せらる、

  • 卷十五慶應二年

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  • 三〇九

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  • 500,590,61,2018は足利尊氏、魏の曹操を以、天下の英雄とし、暗に楠公・孔明を〓蔑する口氣あり、
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