『大日本史料』 12編 6 慶長十四年正月~同十五年二月 p.84

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三ツ口になりける也、後秀吉公へ、秀次、田中を見せ玉ひけれは、吉政か面ぬ, 率して、高き地に張陣す、此時に宮部は手廻り十八騎赤母衣をかけ、惣軍纔, 萬石給り、因幡伯耆の諸將を備組に被附、爰にて千五百石を田中吉政にあ, 坊、渠は鎗持より取立、絶類の勇士、今先方の侍になし候へとも最早某老衰, の子細は、善祥坊先達て但州退治の時、水尾と云處に、鹽谷駿河守三千人を, の廻りを二三返廻りけるか、内へをし入忽打留けるなり、此時面を切られ, 遺領へ入部のとき、池田家の足輕の妻、いまた不拂罷在候、此女ニ付て秀次, ゆへ、萬事友田に差引申付打任せ候へは、御免候へとて、仰をうかゝひ田中, を秀次に仕へしむ、則五千石を玉はるなり、秀次攝州池田を給はりて、勝入, るかりしか、疵にて能男になりたりとて千石加増あり、抑此者秀次へ附屬, に、友田左近右衞門と云ふ侍を、秀次へ附屬すべきと宮部に命せられ、善祥, たへらる、〓三好秀次、また善祥坊か養子に定られし、別家になし給ふとき, の輕卒罪ありなから、引籠り居るよし申けれは、田中則續松を自身持て、家, 坊軍功ありし、秀吉山陰道退治あつて、江州三千石の善祥坊を、因州取高五, 五百にて馳入ける時、田中は長刀を持て、紙子羽織を著て黒の馬に乘り、一, 三ツ口ト, 疵ヲ受ケ, 絶類ノ勇, ヘシ事情, 秀次ニ仕, ナル, 士, 慶長十四年二月十八日, 八四, (島〓カノ

頭注

  • 三ツ口ト
  • 疵ヲ受ケ
  • 絶類ノ勇
  • ヘシ事情
  • 秀次ニ仕
  • ナル

  • 慶長十四年二月十八日

ノンブル

  • 八四
  • (島〓カノ

注記 (25)

  • 571,629,65,2225三ツ口になりける也、後秀吉公へ、秀次、田中を見せ玉ひけれは、吉政か面ぬ
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