『大日本史料』 12編 2 慶長九年三月~同十年二月 p.128

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へは、彼といひ是といひ、秀政辭すへき所にあらす、嫡子吉政をはむかは, しきりに徳川殿をうしなひまいらせんとはかる事を、秀政且元深く歎, 大臣殿のよしみをわすれ兼て、信雄を助て秀吉と戰ふ是等みな信を守, 岸和田の城に籠り居て、世の成り行かんやうを伺ふに、徳川殿奧に向は, んことを思はゞ、相構へて此人に能く隨て、秀頼が事、惡しう思はれぬ樣, き思ひしかと、制し止めんとするに力及はて、秀政は病と稱して、おのか, 仰也と披露ありて、殊に丹波但馬の軍勢を催して、丹後國を攻らるゝう, る事なかれと仰おかる、然るに太閤薨し玉ひて、いくほとなく、奉行等か、, せしとみへたり、徳川殿も、此人他人の例に准すへきものなら〓は、吉政, となりぬ、されは我家の事、情なくはぬるまはし、汝等我世嗣の絶えざら, せ給へは、二男をは、御供に參らせたり、其後また上方に軍起りて、秀頼の, り、義を重んするか故也、秀吉又此年月親しう語らひて、〓に結れたる中, 丹後を攻し事、何の御咎もなし、其後市正且元も、かの仰置れし御言葉を, にすべし、さらは又、我世嗣たへさらん幸も有ぬへし、此事努〳〵、わする, 思て、秀頼の御母子を諫め參らせしものなりと、或書にくわしくしるし, 慶長九年三月二十二日, 康及ビ豐, 秀政ノ家, 臣家ニ對, スル態度, 一二八

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  • 康及ビ豐
  • 秀政ノ家
  • 臣家ニ對
  • スル態度

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  • 一二八

注記 (21)

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