『大日本史料』 12編 18 元和元年四月~同年五月 p.552

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忠志を御感あ〓、, み〓から呼はりていふ、我い万召によりし大坂にいたらむとす、しかるに, す、秀元、東照宮の召に應しく、大坂にいとなのよし、これを〓はりて漕行の, ちしいたりし〓を御感あり、秀元、本多正信にかたりて、西海の船を停止せ, 四月下旬、秀元ひとり續を解く長門を發す、このほと西國より往還乃船を, る〓し、しからは盆なき〓なりといふ、この事台聽に達せしかは、賞せられ, こ〓をとゝめんとす〓は、台命に背くにひとしかるたしととかめしろは、, て、兩御所の軍にしたつふへしといふしかれとも秀就出馬遲滯せしかは、, ところ、また明石岩屋兩方より銕炮を飛して、船をうちやぬらむとす、秀元, ふたたひ遮りとゝめす、やかて伏見にいとり、台徳院殿にまみえたてま, る、このとき西海南海志諸軍、いまたはせ參るものなかりしに、秀元さき, らるといへとも、大船順風にはしるとをは、守るものこれをとゝめかた, 停止せらるゝにより、すてに播磨國室にをいて、秀元か船を書とゝめむと, て、則伊丹喜之助康勝を副られ、二條城にいたり〓、東照宮に拜〓し、また其, ○毛利秀就、三田尻ヲ發スルコト、本月四日ニ其條アリ、マタ秀元ノ中, ○下, 略, 元和元年五月三日, 五五二

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  • ○下

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  • 五五二

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