『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.852

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用ひのよふすなたれは、御家來はいよ〳〵理不盡のふるまひ多かりしと, になし、近所の富家なとへは押込、財寶をも取り候へと仰られ、いさゝか御, もひしに、我命すてに終るへき體なれは、秀頼の滅亡遠くあるましと仰ら, とて太閤へ養子に遣はされ候や、上意には、太閤より其方を望みゆへに遣, はしたると也、秀康卿また押返し、太閤の望みにて養子にいたされたると, なく、秀忠へ御讓り候事は、いかなる思し召に候や、上意に、其方は太閤の養, ならは、秀頼とは兄弟にて候や、上意に、いかにも秀頼とは兄弟也と上意也, 去によつて秀康卿常々に仰らるゝは、我は秀頼と兄弟の事なれは、明日に, れしと也、此事を神君ほのかに聞し召れたるにや、大坂御陣のせつに、越前, と也、既に御逝去被成へきときに、我存命のうちは、秀頼を殺させましとお, 也、或とき神君と御對話のとき、秀康卿仰上かるゝは、私には御家を御讓り, も秀頼を殺さんと計る人あらは、大坂におもむき、秀頼とゝもに死すへし, 少將殿を御うたかひ遊はさる、落城のせつ、眞先へ少將殿御旗入りしを御, 子に遣はしたるゆへ世を讓らぬ也、秀康卿、又々仰上らるゝは、左候はゝ、何, 覽被成、扨も孫に懸りたるとの上意にて、御悦ひありしと也, 盛話、, 關口正, 秀頼庇護, 秀康秀頼, ト兄弟, 慶長十二年閏四月八日, 八五二

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  • 關口正

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  • 秀頼庇護
  • 秀康秀頼
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  • 慶長十二年閏四月八日

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  • 八五二

注記 (22)

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