『大日本史料』 10編 14 天正元年2月~同年3月 p.308

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五十騎組衆にそへ殘し、何方へも御供の子細は、馬場美濃守弓矢功者の故かくのことし、, 大身衆の事は申に及はす、是を聞ほとの諸侍大小共にいさむなり、, 一、馬場美濃守信州まきの嶋に在城して、越中・飛騨への御先とはいへ共、手前の人數四・, 國の大小を〓取にさするならは、其多少は面々の果報次第、扠又國と郡のなみに入る事、, いるゝ事、郡のなみにいる事、武功の故ならんと、大身衆へ信玄公直に仰渡さるゝ間、, 必忠節をぬきんつる人は國主なり、少も手柄おとりたるは郡とらんと思へ、國のなみに, 安中をはしめ、上野侍此衆を召て、信玄公仰らるゝ、予か煩かくの分に平愈して、三年, の間に都へ入候はゝ、又五年の内には六十餘州を治とつて、旁を國もちに申付る時、其, 一、信玄公東美濃御陣前に、高坂・山縣・内藤・馬場美濃・眞田源太左衞門・同兵部介・, 小山田彌三郎・小山田備中・朝比奈駿河守・岡部次郎右衞門、其外駿河侍、各又小幡・, 山縣同心廣瀬・みしな・辻彌兵衞武邊公事の事, }、天正元年三月上旬に、信玄公御病氣一段平愈なさるゝ子細は、板坂法印藥を進上いた, 〔甲陽軍鑑〕十四, 〔甲陽軍鑑〕, ノノチ戰功, ヲ充行ハン, メ全國平定, ニ依リ國郡, 二將士ヲ集, 信玄出陣前, 信玄板坂法, 印ノ藥ト灸, ト云フ, ニテ平癒ス, 天正元年三月是月, 三〇八

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  • ノノチ戰功
  • ヲ充行ハン
  • メ全國平定
  • ニ依リ國郡
  • 二將士ヲ集
  • 信玄出陣前
  • 信玄板坂法
  • 印ノ藥ト灸
  • ト云フ
  • ニテ平癒ス

  • 天正元年三月是月

ノンブル

  • 三〇八

注記 (26)

  • 1612,721,64,2131五十騎組衆にそへ殘し、何方へも御供の子細は、馬場美濃守弓矢功者の故かくのことし、
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