『大日本史料』 10編 15 天正元年4月 p.324

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れ候、今川義元も氏康と取合の時、某罷出、富士のしもかたにをひて北條家をしつめ、, くは當時日本一番に勝候、子細は國持衆弓箭之儀何も譽有といへとも、皆人は他家の大, 治め、四國・九國まて威をふるひ、元就におぢて、したはのやうに仕るといへども、信, る、此煩は工夫積て心草臥候へは、如此の煩有と聞、然者信玄若き時より弓箭を取、恐, 被召寄、信玄公被仰は、六年先駿河出陣まへ、板坂法印申候は、膈と云煩なりといひつ, ち申候につき、信玄公御分別あり、各譜代の侍大將衆、御一家にも人數を持給ふ人々盡, を用て譽有侍もあり、或は國を澤山に治め、大身なるといへとも、よその手柄を聞ては, 將を互に頼み、兩旗兩大將をもつて利運に仕る侍もあり、或は剛強を專にしてつよき働, 其後今川義元・北條氏康無事になるは、悉皆信玄がすけたる故也、毛利元就中國を大形, 恐怖、末子を人質に出すへきと用意する侍もありときく也、先北條氏康は太田三樂・上, 亥刻に、口中にはくさ出來、御は五ッ六ッぬけ、それより次第によはり給ふ、既死脈う, 長を聞及、四郎と云子を信長へ奉公にやるべきと支度仕たると聞、扠又長尾〓信輝虎は、, 〓、〓用大一日未の刻より、信玄公御氣相惡御座候而、御脈殊外はやく候、又十二日の夜, 杉則政・輝虎各敵にして叶ざれば、某信玄を頼み、松山陣其外一兩度我馬を引出し申さ, 重臣ヲ集メ, テ後事ヲ托, 武功, 信玄病篤シ, 信玄一代ノ, ス, 天正元年四月十二日, 三二四

頭注

  • 重臣ヲ集メ
  • テ後事ヲ托
  • 武功
  • 信玄病篤シ
  • 信玄一代ノ

  • 天正元年四月十二日

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  • 三二四

注記 (22)

  • 560,808,80,2103れ候、今川義元も氏康と取合の時、某罷出、富士のしもかたにをひて北條家をしつめ、
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