『大日本史料』 10編 15 天正元年4月 p.326

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こみて、岩村の城を此方へ攻落す、さて信玄武勇の事は人をたよらず、只今にいたりて, 戰をとげ、しかも勝利を得て候、去年味方が原の砌も、信長・家康申合、十四ケ國に取つ, 書、信玄は煩なれ共、未存生と聞たらは、他國より當家の國々へ手をかくる者有まじく候、, も氏政加勢に可罷出と被申候へ共、無用と申候、武篇の手がらは如此也、又信玄分別の, 事は、惣別五年已來より此煩大事と思ひ、判をすへをく紙八百枚にあまり可有之と被仰、, 信玄方より破て、信長居城の六里ちかくまで燒詰、壹萬餘の人數にて信長出たるに、馬, 御長櫃より取出させ、各へ渡し給ひて仰らるゝは、諸方より使札くれ候者、返札を此紙に, 某の國取べきとは夢にも不存、信玄に國とられぬ用心ばかりといつれも仕候へば、三年, 敵の國へ働五十曰に及、味方の地へ人の通路もなく燒〓、小田原まて押入、もどりに, ゝきたる所へ押懸、二三里近の二俣を攻取、其上合戰に勝、遠州三州の間刑部に極月廿, 四日より正月七日まて十四曰の間罷在に、天下のぬし信長樣々降參のうへ、我等被官秋, の間我死たるをかくして國をしづめ候へ、跡の儀は四郎むすこ信勝十六歳の時家督なり、, 場美濃守千にたらぬ備をもつて、上道一里あまりをしつけ候へは、跡も見ず岐阜へにげ, 山伯耆守を信長をば聟にして、それにことよせ、末子の御坊と云子を甲府まで差越候に、, 信玄居判ノ, 紙ヲ老臣ニ, 與へ之ヲ用, 喪ヲ祕セシ, ヒシム, 天正元年四月十二日, 三二六

頭注

  • 信玄居判ノ
  • 紙ヲ老臣ニ
  • 與へ之ヲ用
  • 喪ヲ祕セシ
  • ヒシム

  • 天正元年四月十二日

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  • 三二六

注記 (21)

  • 893,804,69,2136こみて、岩村の城を此方へ攻落す、さて信玄武勇の事は人をたよらず、只今にいたりて
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