『大日本史料』 10編 11 元亀3年12月~同年是歳 p.114

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にかけあひ申へく候間、三十日には、濱松の落城有間鋪候、其間に八萬に及大軍を引つ, 入所もあり、是を考、とをき陣の役儀を引はらひ、一國に八千積にして見れは、七萬二, 千なれとも、美濃・尾張兩國の勢は、積より結句多勢ならんと存る、謂は此方をもつて, れ、信長後詰候者、濱松をまきほくし、定而大敵にむかひなさるへく候、さありても、, かり、今きれ筋を三萬も働申へく候、先信長領分をつもり候に、美濃・尾張・伊勢、近, 十四ケ國の敵なり、信長十二ケ國の内三ケ國は、他國の押に置、殘りて九ケ國の人數、, と内談候て、濱松より美濃岐阜の間に信長衆打續陣取たる也必定なれは、只今濱松を御, 州はあらそひの國、三河一國なるか、是は武篇の國なる故、五干あらは、上方の二萬, 江・山城・大和・河内・攝津國、丹波・〓摩・若狹・丹後、家康持の三川・遠州そへて, 美濃・尾張には、一國に一萬八千積なれ共、十二ケ國の内小國もあり、或は信長手に不, なされ、尤といさめ申上、高坂彈正申は、各勿體なき事を申上られ候者哉、信長と家康, 攻あり、はやき分にて廿日もかゝり候はゝ、其間に信長後詰をいたされ、本坂へ五萬は, たくらへ候に、信州・上野衆の多勢は、よその積に拔群おほかるへく候、又家康持分遠, 初て參會の大敵へむたと懸て、一合戰もなさるましく候により、あなたよりはとても一, 諫止ス, 松城攻撃ヲ, 高坂虎綱濱, 元龜三年十二月二十二日, 一四

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  • 諫止ス
  • 松城攻撃ヲ
  • 高坂虎綱濱

  • 元龜三年十二月二十二日

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  • 一四

注記 (19)

  • 484,693,77,2215にかけあひ申へく候間、三十日には、濱松の落城有間鋪候、其間に八萬に及大軍を引つ
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