『大日本史料』 10編 15 天正元年4月 p.325

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人は城人は石垣人は堀情は味方讎は敵なり, ほぐし、味方捨、退口あらき事數度有、然も一向坊主などを敵にして、家康なくは成間, 越後より甲州の内へ働べき事は夢にも不存、此比は信州の内さへ然々と出たる事なし、, たる事一度もなし、卷たる城を卷ほぐしたる事一度もなし、味方の城を一ッと敵に取し, 其上越中にをひて大將なき者共に相逢てをくれを取、敵に押つけを見せ、尤翌年に仕り, 返し、加賀の尾山まてをし付たるとあれども、先謙信も負たる事數度あり、扠信長・家, 然所に信玄手柄は若き時分より他國の大將を〓、馬を出させ、兩旗をもつて弓箭をとり, 康は、互にあなたをすけ、こなたをすけ、利運に互に仕、既もつて信長は卷たる城を卷, 布候、本ヨリ家康小身なる若氣也、又奥兩國にも輝虎ほどなる大將なし、四國・九國に, も毛利元就ほどなるはなし、日本國中に右大將衆程譽の侍、今は太唐にもなきと聞ゆる、, かれたる事なし、甲州のうちに城〓をかまへ、用心する事もなく、屋布かまへにて罷在、, 將高坂彈正に申付、信玄馬の出ざるに、彈正ばかりをもつて越後の内へ度々働候へは、, ○或人の云信玄公御歌に、, 武勇を以日本へ名を發し、上杉官領に經あがり候處に、某信玄に負、既に我等家の侍大, 軍法ノ和歌, 天正元年四月十二日, 三二五

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  • 軍法ノ和歌

  • 天正元年四月十二日

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  • 三二五

注記 (17)

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