『維新史』 維新史 4 p.87

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原の隊は遂に禁門に至るを得なかつたのである。, し、途上天龍寺駐屯の同志鎭撫の爲と稱して、道を伏見街道に取つた。併し之を, も亦柵を破つて同じく蛤門内に〓入し、茲に激戰は蛤門内より公卿門前に亙つ, 藤森附近に於いて邀撃した。此の戰に福原越後, て展開せられた。一時會津藩兵は頗る苦戰に陷つたが、桑名藩兵及び薩州藩兵, れ亦丹波橋に於いて彦根・會津兩藩兵と戰ひ、敗れて山崎に潰走した。斯くて福, ゐて中立賣に向つた。他の一隊は又兵衞之を率ゐて寅半刻, 前藩の守衞してゐる中立賣門を〓破して蛤門内に殺到した。來島又兵衞の隊, 嵯峨の天龍寺に屯した國司信濃・兒玉小民部・來島又兵衞等の隊は丑刻, は先づ以て負傷したので、全軍は一先づ伏見に退却した。越後の後を承けて佐, 下立賣に至つ, 原越後の隊は、十八日亥刻, 所を出發し、北野を過ぎ、一條〓橋に至つて隊を二方面に分ち、一隊は信濃之を率, 〓は隊を率ゐて竹田街道より入京せんとしたが、こ, た。共に會津藩の守衞してゐる蛤門を目指してゐたのである信濃の隊は筑, 牒知した大垣藩兵は寅刻, 隊伍を整へ、山崎へ出向すると聲明して伏見を發, 久間佐兵衞・太田市之進, 同, 午前, 午前, 後御堀, 五時, 午前, 耕助, 二時, 四時, 午後, 十時, 蛤門の戰, 國司信濃, の軍出動, 伏見の戰, 第一章禁門の變第五節禁門の變, 八七

割注

  • 午前
  • 後御堀
  • 五時
  • 耕助
  • 二時
  • 四時
  • 午後
  • 十時

頭注

  • 蛤門の戰
  • 國司信濃
  • の軍出動
  • 伏見の戰

  • 第一章禁門の變第五節禁門の變

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  • 八七

注記 (35)

  • 1107,568,63,1420原の隊は遂に禁門に至るを得なかつたのである。
  • 1700,572,63,2281し、途上天龍寺駐屯の同志鎭撫の爲と稱して、道を伏見街道に取つた。併し之を
  • 426,575,66,2279も亦柵を破つて同じく蛤門内に〓入し、茲に激戰は蛤門内より公卿門前に亙つ
  • 1586,1448,60,1407藤森附近に於いて邀撃した。此の戰に福原越後
  • 313,574,66,2281て展開せられた。一時會津藩兵は頗る苦戰に陷つたが、桑名藩兵及び薩州藩兵
  • 1220,571,66,2287れ亦丹波橋に於いて彦根・會津兩藩兵と戰ひ、敗れて山崎に潰走した。斯くて福
  • 768,572,66,1747ゐて中立賣に向つた。他の一隊は又兵衞之を率ゐて寅半刻
  • 539,569,67,2292前藩の守衞してゐる中立賣門を〓破して蛤門内に殺到した。來島又兵衞の隊
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