『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.519

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ラ、公方, 權者に〓せんの計畫を起せり、エチアム, 著け、〓見の爲に出で往きしが、駕籠のまゝ宮殿の内部に入るの許可を得, なる施政をなしたることの爲に、長崎を去るを得ず、又自由に牧師の職務, 其權利を恢復せし觀ありき、モンセニユール、ド、セルケイラは、司教の服を, たり、是は最大諸侯に非ざれば與へられざる特權なりき、公方自らも亦禮, のなるが、司教に助力せんことを申出で、爲に其〓見の許可を得たり, 來り、司教に服從の意を表し、其京都に在る時も亦同樣にて、基督教は、盡く, り、此司教、日本に著せしより以來、迫害内亂、及び公方の帝國を統一し、嚴重, 家に寓せり、大坂に於てもまた途上にても、到る處基督教徒は群を爲して, 人は、是より先き、葡萄牙關係事務の監督者として、長崎に派遣せられしも, といへる朝廷の重臣の一, を盡す能はざりしが、是に至りて、事態の都合好く變じたるを認め、往て主, 司教は、多くの師父、及び法兄弟と共に直に途に上れり、大坂に至りて、エチ, に〓見のことありて、公方は、宗教の事に關して盆〻寛大となれ, アムの送れる一隻の川舟を得、エドガワ〓淀を〓りて、京都に至り、師父の, ○小笠, 原一庵, 一庵長崎奉行タリシコトハ、四月, 是月ノ條二見エタリ、參看スべシ, 笠原, ○小, ○家, 康, 司教ノ上, 小笠原一, 庵, 洛, 慶長十一年是歳, 五一九

割注

  • ○小笠
  • 原一庵
  • 一庵長崎奉行タリシコトハ、四月
  • 是月ノ條二見エタリ、參看スべシ
  • 笠原
  • ○小
  • ○家

頭注

  • 司教ノ上
  • 小笠原一

  • 慶長十一年是歳

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  • 五一九

注記 (30)

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