『大日本史料』 12編 18 元和元年四月~同年五月 p.603

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ニ下總殿まへより少南山のきりに陣を取罷居候、片倉小十郎は正宗より, 生藤蔓を踏破るなり、我も又藤の蔓を踏破て、かの藤井乃道を通らん、但龜, 五十枚拜領仕、伏見を火立時分ニ罷出、法隆寺へ夜の引あけに罷歸り、それ, らか也、若戰に利なく我死き、末世之勇士之戒となすへしと、軍兵を卒し、龜, の晩にこくふへ付被申候、正宗はならに陣取被居候へとも、五日之晩夜中, 先え罷越陣取仕候、拙者跡備本田美濃殿、其次に下總殿陣取被申候、丹羽勘, より直ニ法隆寺罷立、こくふえ五日の日おしつめ申候、美濃殿、下總殿、其日, 瀬を越、河内國分寺へ馳着く、松倉已下暫く有て來る、諸人丹後守を感す、, 瀬は古より忌といへとも、我今人に先立進み、命をすて敵を殺す時き、千年, 之禁忌を破り、愚者之迷をとく也、守屋軍に負死は、我き勝て生ん、其吉凶明, 跡に陣を取り居被申候、松平下總殿は、六條, 井越と云有、是昔より禁、藤蔓手足にまとひ候故にや候らんと云り、丹後曰, 其明ル日、奈良ゟ押出し、法隆寺迄罷越候、其跡に本多美濃殿は郡山のやけ, 候、五月四日、台徳院樣御用被仰付旨御座候ふ罷越、御諚之通具に承候、金子, と申寺に陣取被申, 〔水野勝成記〕卯年大坂二度の御合戰, ○前項ハ勝戌ノ奈良二, ○大和生駒, 著陣セシコト二係ル, 郡都跡村, 本多忠政, 郡山ニ松, 平忠明六, 勝成等國, 水野勝成, 法隆寺二, 條ニ陣ス, 分ニ進ム, 元和元年五月五日, 六〇三

割注

  • ○前項ハ勝戌ノ奈良二
  • ○大和生駒
  • 著陣セシコト二係ル
  • 郡都跡村

頭注

  • 本多忠政
  • 郡山ニ松
  • 平忠明六
  • 勝成等國
  • 水野勝成
  • 法隆寺二
  • 條ニ陣ス
  • 分ニ進ム

  • 元和元年五月五日

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  • 六〇三

注記 (30)

  • 369,659,66,2203ニ下總殿まへより少南山のきりに陣を取罷居候、片倉小十郎は正宗より
  • 1776,643,62,2220生藤蔓を踏破るなり、我も又藤の蔓を踏破て、かの藤井乃道を通らん、但龜
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