Loading…
要素
割注頭注ノンブル
OCR テキスト
爲申上、阿州より態罷越候、以上、寛永十一年極月十日、中内藤九郎書判、同, 七左衞門等力戰して功あり、三田村傳左衞門戰死、森左兵衞等殿して歸る、, て可被聞及候間、何れへ成とも御尋可被成候、仁右衞門樣を討たると申, 中内藤九郎中分の書付、但し伊賀中内彌左衞門所に在之候を箕浦正内, 殿より被相越候、以上, 者世間に有之樣承、不審御座候事、於後日古仁右衞門樣御あいてに罷成, 曾我部家中生殘たる者共、何れも存申候、伊賀伊勢に被居候土佐衆も定, 氏紹、父氏勝の大に傷と聞て驅來り、主水を討てこれを斃す、此時射手玉置, 候と申仁御座候者、何時にても被仰聞次第罷出、きんみ可仕事、右之條々, 澤隼人、柳田金十郎使を奉して、仁右衞門手にて戰死せり〓, 門樣も御果被成、私親も相果申事、一かよふ申上候儀、僞少も無御座候、長, 書上包中内彌五左衞門と申仁、古仁右衞門樣と大坂にて槍仕候との義, より堤と村との間へ横合に掛て血戰す、遂に長曾我部主水に刺さる、其子, 去程に勘解由氏勝は、高刑の横槍の命を受、本道の北, 勘解由家乘五月六日の朝、於八尾表、四十歳にて討死仕候、右之節嫡子, 〔高山公實録〕, 元和元年五月六日, 此事仁右衞門, 家記に見ゆ、, 三十, 軍ヲ横撃, 戰死, 長曾我部, 澤隼人等, 藤堂氏勝, 氏勝戰死, ス, 元和元年五月六日, 八三二
割注
- 此事仁右衞門
- 家記に見ゆ、
- 三十
頭注
- 軍ヲ横撃
- 戰死
- 長曾我部
- 澤隼人等
- 藤堂氏勝
- 氏勝戰死
- ス
柱
- 元和元年五月六日
ノンブル
- 八三二
注記 (29)
- 1246,707,65,2159爲申上、阿州より態罷越候、以上、寛永十一年極月十日、中内藤九郎書判、同
- 309,631,67,2244七左衞門等力戰して功あり、三田村傳左衞門戰死、森左兵衞等殿して歸る、
- 1594,713,65,2158て可被聞及候間、何れへ成とも御尋可被成候、仁右衞門樣を討たると申
- 1013,709,62,2156中内藤九郎中分の書付、但し伊賀中内彌左衞門所に在之候を箕浦正内
- 902,706,57,640殿より被相越候、以上
- 1479,704,65,2165者世間に有之樣承、不審御座候事、於後日古仁右衞門樣御あいてに罷成
- 1711,707,66,2162曾我部家中生殘たる者共、何れも存申候、伊賀伊勢に被居候土佐衆も定
- 430,636,62,2231氏紹、父氏勝の大に傷と聞て驅來り、主水を討てこれを斃す、此時射手玉置
- 1360,707,66,2152候と申仁御座候者、何時にても被仰聞次第罷出、きんみ可仕事、右之條々
- 782,634,60,1735澤隼人、柳田金十郎使を奉して、仁右衞門手にて戰死せり〓
- 1826,705,66,2163門樣も御果被成、私親も相果申事、一かよふ申上候儀、僞少も無御座候、長
- 1130,707,62,2168書上包中内彌五左衞門と申仁、古仁右衞門樣と大坂にて槍仕候との義
- 546,640,62,2224より堤と村との間へ横合に掛て血戰す、遂に長曾我部主水に刺さる、其子
- 664,1287,61,1582去程に勘解由氏勝は、高刑の横槍の命を受、本道の北
- 198,706,62,2158勘解由家乘五月六日の朝、於八尾表、四十歳にて討死仕候、右之節嫡子
- 647,597,102,410〔高山公實録〕
- 1949,710,45,338元和元年五月六日
- 928,1359,44,414此事仁右衞門
- 887,1362,39,348家記に見ゆ、
- 698,1077,38,108三十
- 568,264,43,171軍ヲ横撃
- 772,262,44,86戰死
- 614,265,41,169長曾我部
- 817,263,41,174澤隼人等
- 657,264,41,172藤堂氏勝
- 232,263,43,174氏勝戰死
- 531,267,30,29ス
- 1950,711,44,337元和元年五月六日
- 1941,2443,50,126八三二







