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に下され候、親新七郎幼少の名宗徳と申候事, ふせ首を取り申候、其外家來馬乘りの者四五人掛付、玄蕃を肩に掛退候, 秀を從へり、元則井伊家の營にいたれは、戰ひ已に始らんとす、元則一戰, 川權左衞門掛付言葉をかけ候へは、敵槍を捨刀を抜候所を、權左衞門切, 〓、彌次兵衞討死仕候、跡目無相違被仰付候間、下々まく心安く可奉存候, り不計罷出、玄蕃馬上の所をつき申候故、敵の槍を取押立居申所へ、先押, して後使事を果さんとで、一番に戰ふて首級を獲たり、夫より直孝へ〓し, の内首捕申者無御座候, さ〓釆女元則は、是より先つかた、井伊家の陣營へ使を奉す、玉置角之助直, 使事を遂く、直孝、元則の功をめて、槍一本與へられしとだ聞へし、, 得とも、右の槍疵手重く相果申候、右家來四五人の内三人討死仕候、三人, 木村長門手より中白のしなひを指、白手拭にてはちまき仕候武者、脇よ, の内山岸喜太郎と申者の相手は、喜太郎家來首捕申候、其外家來の者共, 玄蕃延寶書上大阪夏陣に、三代以前の玄蕃、若井表西郡村へ乘込候處、, 爲御香典八木二百俵、藤堂宗徳へ被下候、同百俵つゝ藤堂九藏、桑名將監, 元和元年五月六日, 藤堂元則, 井伊直孝, ノ營ニ使, 藤堂良重, ノ戰死, 元和元年五月六日, 八三八
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- 藤堂元則
- 井伊直孝
- ノ營ニ使
- 藤堂良重
- ノ戰死
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- 元和元年五月六日
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- 八三八
注記 (23)
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