『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.591

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鑓を持て罷有候、右兵衞督殿、常陸介殿えは, のはいとりに熊のまねきを付たる印を持を、侍二三人召連、茶磨山え參候, かため、備を立置、御本陣へ參、子息上野父子之人數は家老ニ申付、我身は金, ひに急、旗馬印もつゝかに、天王寺迄御乘付被戌、爰に本多佐渡守御先打之, さませんためと加樣ニ申候由、何を老功の衆は、古實を存如此、大御所樣御, ふ合戰之最前ニ、甚右衞門御注進に參候得共、軍陣之御祝儀又は味方をい, 兩人樣畏〓承候と御請被申、道筋堀田のかまいなく御急候間、人數思ひ思, 戰仕候、早々御駕を被召、御見物被遊候へと申上、是は越前衆眞田と馳合候, ゟ横田甚右衞門參、御先之敵は打負候ふ、茶磨山ニ少殘候を、越前衆鑓組合, 一組を召連、最前ニ茶磨山え押懸、茶磨山を取、茶磨之邊敵眞田か陣床ニあ, 人數少々殘候得共、佐渡守組大勢追立參候ニ驚敗北仕、佐渡守茶磨山を取, 打ものそ、何〓下馬いたしおりしき居候へとの御下知ニ付、何〓おりしき, 備之内を二返御乘廻し、ケ樣之大軍ニは、一万二万の敵をも、五百三百にて, 被成候筈ニ候へ共、敵出候而、御合戰初候間、早々御越候へと被仰越之間、御, 候哉と御意被成、御押被成候、茶磨山より十町計前宮木立有之所ニ面、御先, 爲御使、住吉え御押, 内藤主馬、間, 宮左衞門, 天王寺二, 本多正信, 著ス, 義利頼將, 茶臼山ヲ, 取ル, 元和元年五月七日, 五九一

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  • 内藤主馬、間
  • 宮左衞門

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  • 天王寺二
  • 本多正信
  • 著ス
  • 義利頼將
  • 茶臼山ヲ
  • 取ル

  • 元和元年五月七日

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  • 五九一

注記 (26)

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