『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.592

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成、御殘多思召との御意也、各去年之陣所え御陣取候へと御意ニ〓、御歸被, 陸介殿も御座候〓御目見得被成候、今日少遲候て、御合戰御とりかい不被, 其向ひ少晴候て、御先へ參候味方之人數近く見え申候間、敵と存打懸申候, の死骸をになひ通る、ほとなく茶磨山へ御あかり候へは、右兵衞督殿も常, 三ツ打立申候、此鉄炮ニる味方騷きたちうら切よ〳〵とよはゝり候て、西, 押參候馬ほこりにてあたりも見へ不申候、少のふけ田御座候な人通かね, 大御所樣茶磨山近所まて被成御座候時、上野家來御先ニ〓、不圖鉄炮二ツ, きやう者ともと御しかり被皮、御乘出し可被遊と被成候處ニ、御馬取口を, ゆるし被成、御はなし被成候、扨少御押へ候へは、火の手あかり申候間、板倉, 内膳を爲御使、御合戰御勝利御滿足之由被仰遣、此所ニな小笠原本多兩人, 石卷庄兵衞、八木下善四郎一人宛召捕候て引はり參候、右之通申上候間、御, は天王寺東は岡山邊まて一面になりて、南へくつれ參候事限無御座候、ひ, 不放候間、御馬取の頭を御打候へ共、は〓し不申候、右之鉄炮打候事は、大勢, 成候時、將軍樣御出被成候得者、御せうきより御立向候て、御合戰は思召之, 儘ニ〓御心地よく思召由御意被成候、將軍樣被仰上候は、兩年御馬被出候, 家康ニ誌, 秀忠亦來, 山二進ム, 家康茶臼, 東軍味方, 義利頼將, リ〓ス, 崩, ス, 元和元年五月七日, 五九二

頭注

  • 家康ニ誌
  • 秀忠亦來
  • 山二進ム
  • 家康茶臼
  • 東軍味方
  • 義利頼將
  • リ〓ス

  • 元和元年五月七日

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  • 五九二

注記 (26)

  • 380,635,60,2220成、御殘多思召との御意也、各去年之陣所え御陣取候へと御意ニ〓、御歸被
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