『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.926

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秀頼にしたかひ、芦田矢倉に籠て自害せり、, 大坂陣ノ時、森豐前守勝永ガ家士岩村清右衞門、佐治内膳銕炮頭タリ、秋田, 河内守俊季か銕炮頭ト、堤ヲ隔テセリ合ケルガ、勝永、漫リニ放ツ事ナカレ、, は東照宮御旗を俄にまかせ給ひ、茶磨山の後にひかへさせ給ひたる故と, て來れとてやりけるが、暫有て乘歸り、住吉に白旗は見えずといひけり、此, 放ツ時ハ心ヲ靜メテ下テ放セト下知ス、敵ハ堤ノ上ニ登テ、透間ナク放〓、, て、兵をすゝむる所に、白旗見えげりしかば、長井傳兵衞、水野伊右衞門に、見, かや、勝永は小倉の城主壹岐守が子なり、勝永が子を式部といふ、父子共に, ハ若武者ニテ、岩村ハ老功ノ者ナレバ、佐治常ニ岩村ヲ以テ目當トス、岩村, 見ゆれば、此駿河の大御所なるべし、一文字に切てかゝり討死せんと志し, 放ツヨリ早ク堤ノ下ニ屈伏スレバ、鉛子ハ虚空ニ飛テ、更ニ人ニ不中、佐治, 大坂五月七日、毛利豐前守勝永は、軍をおし出せしが、住吉の松かげに白旗, 銕炮ヲ取テ立上リ、二放シ放ツ、佐治モ又然ス、岩村鎗ヲ提テ堤ヲ走リヲリ、, 〔正武將感状記〕四岩村清右衞門、佐治内膳功名事, 毛利勝永軍配相違の事, 常山紀談, 二十, 岩村清右, ヲ衝力ン, 勝永ノ士, 衞門佐治, ニ殉ズ, 家康ノ陣, 毛利勝永, 式部秀頼, 内膳競ヒ, 戰フ, 勝永ノ子, トス, 元和元年五月七日, 九二六

割注

  • 二十

頭注

  • 岩村清右
  • ヲ衝力ン
  • 勝永ノ士
  • 衞門佐治
  • ニ殉ズ
  • 家康ノ陣
  • 毛利勝永
  • 式部秀頼
  • 内膳競ヒ
  • 戰フ
  • 勝永ノ子
  • トス

  • 元和元年五月七日

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  • 九二六

注記 (31)

  • 952,634,55,1294秀頼にしたかひ、芦田矢倉に籠て自害せり、
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