『大日本史料』 12編 23 元和元年十月~元和二年正月 p.250

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に讒せられて誅せらるへしと聞ゆ、信吉大に恨て、おのか家に二心あらさ, ん所を、後陣の人々に取られ參らせん事も、軍の法を亂すに似たり、所詮此, の御首途に跡へ下り給はむも然るへからす、なほ先へや御陣を進め給ふ, る由の起請文書て殘し置き、慶長五年三月十三日、會津を去て都に登り、大, 處に景勝か陣とらんほとの宿さけ渡され、其宿さけ渡されむ人々は、軍陣, て、東西に分れて一時に軍起さんとす、信吉是を強ちに諫めしに、直江か爲, 返されたり、かゝる所に景勝、石田治部少輔三成等といひあはする旨あつ, 給て、家康か家人面目を失はさりし事、信吉の計, らひに依る所なりと仰下されけり、慶長二年の春、景勝奧にうつりし時、信, ひしにそ、立所に事はたいらをけり、徳川殿この由を聞召され、藤田か許に, ほり、徳川殿に見參す、宮嶋にての事仰出されて、物多く給ふ, へき、其餘の人々は、もとのまゝにこの宿にこそ陣とらせ給ふへけれと云, 御使, 徳寺に籠り居て入道し、源心とそ號しける、かゝる所に景勝か軍起りぬと, 吉大森の城を領す、同き三年八月、太閤薨し給ひ、信吉御吊使として都にの, 黄門いそき上洛あつて、天下の事議せらるへきよしをよく申せとて, 大久保七郎右衞門尉、, 永井右近大夫なり、, 十領, 青江直次の御, 袖二, 刀、黄金百兩、小, プ二遇ヒ, 出家ス, 信吉家康, 二知ラル, 元和元年十二月二十七日, 二五〇

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  • 大久保七郎右衞門尉、
  • 永井右近大夫なり、
  • 十領
  • 青江直次の御
  • 袖二
  • 刀、黄金百兩、小

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  • プ二遇ヒ
  • 出家ス
  • 信吉家康
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  • 元和元年十二月二十七日

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  • 二五〇

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