『大日本史料』 12編 24 元和二年二月~同年四月 p.212

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々、本多上野介正純、松平右衞門大夫正綱、秋元但馬守泰朝、板倉内膳正重昌、, 生我に仕くおこ童らず、我捐舘の後、内記をもとのごとく久能にすへて、神, 是をうけたまはりて、則酒井雅樂頭忠世、土井大炊頭利勝、安藤對馬守重信, 近侍シケルヤ、病惱重クナラセ、寢食ヲ安クシ玉ハサリシ時、我死ナハ久能, 職の事をつかさどらしめ、御存生のあひだ召つかはれしどくなるべし云, ともに御遺言をうけたまはる, 其上各みな仰をうけたまはりて、台徳院殿、照久に御懇意有べし云々、, ニ兄ノ子也、流浪〓越前ノ黄門ニアリシヲ、權現駿府安坐ノトキ召出サレ、, と相談して、此旨を台徳院殿に言上し、鈞命をうけ壹まはりて、照久につぐ, 〔參考〕, 時、か手て御遺言に、我不慮乃事あらば、廟を久能山につくべし、榊原内記、平, 一葬リ、神ニ祭ルヘシ、社務ニハ内記ヲ可仕ト遺言アリケレハ、今ノ相國治, コレヨリ久能參詣、社主榊原内記ハ古式部大輔カ姪ニテ、コト, 〔杏陰稿〕二東行日録, 〔寛永諸家系圖傳〕十四榊原照久内記、元和二年四月、大權現御不例乃, 〓和二年四月、大權現御不例乃, 十七日, 〔寛永諸家系圖傳〕十四, ○上下略、譜牒, 餘録異事ナシ, ○中, 略, 内記、, 能ノ神職, ヲシテ久, 榊原照久, 家康薨後, ヲ司ラシ, 松平正綱, メントス, 3元泰朝, 板倉重昌, 元和二年四月一日, 二一二

割注

  • ○上下略、譜牒
  • 餘録異事ナシ
  • ○中
  • 内記、

頭注

  • 能ノ神職
  • ヲシテ久
  • 榊原照久
  • 家康薨後
  • ヲ司ラシ
  • 松平正綱
  • メントス
  • 3元泰朝
  • 板倉重昌

  • 元和二年四月一日

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  • 二一二

注記 (34)

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