『大日本史料』 12編 5 慶長十二年八月~同十三年十二月 p.540

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照久母は左近右衞門某か女、慶長五年伏見にをいて東照宮にまみへた, 二、法名元向、駿府の寶臺院に葬る、妻は大原左近右衞門某か女、, てまつり、これより御傍に勤仕す、十二年仰によりて父か病床に侍すと, いへとも、快復せるにより、四月伏見の御座所に參るのところ、再病發し, 病を看すべきむね、恩命をかうふる、五月二日久能にをいて死去、年六十, 危篤にをよふのよし告ありしかは、またいとまたまはりて、久能にいた, 清定多病たるにより家督たらす、男七郎右衞門清次かとき、別に家を興, たまふとき、懇の御諚ありて、かりに廩米五千俵をたまふ、これよりさき, す、, 清政榊原七郎右衞門長政か長男、母は某氏、東照宮につかへたてまつり、, 病に罹りしかは、清久御供の列にありしにより、久能にとゝまりて、その, る、五月父死して城番なきにより、守衞の人を命せらるゝのゝち、伏見に, に成せ, この地, 十二年, 女子紀伊家の臣小笠原次右衞門正信か妻、, 慶長十三年五月二日, ○中略、清政、信康ニ奉仕シ、終二館林ニ閑, ○榊原系譜ニ清政ノ二男某、, シ、照久ヲ長子ト爲シ、女子二人アリ, ○慶, 居、及ビ久能城守衞等ノコト二カヽル、, 別本榊原家譜ハ、清定ヲ清政ノ末弟ト, 三男照久、及ビ女子三人アリ、, ○久, 長, 能, 清定, 五四〇

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  • ○中略、清政、信康ニ奉仕シ、終二館林ニ閑
  • ○榊原系譜ニ清政ノ二男某、
  • シ、照久ヲ長子ト爲シ、女子二人アリ
  • ○慶
  • 居、及ビ久能城守衞等ノコト二カヽル、
  • 別本榊原家譜ハ、清定ヲ清政ノ末弟ト
  • 三男照久、及ビ女子三人アリ、
  • ○久

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  • 清定

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  • 五四〇

注記 (29)

  • 607,658,61,2218照久母は左近右衞門某か女、慶長五年伏見にをいて東照宮にまみへた
  • 959,731,62,1871二、法名元向、駿府の寶臺院に葬る、妻は大原左近右衞門某か女、
  • 493,735,61,2144てまつり、これより御傍に勤仕す、十二年仰によりて父か病床に侍すと
  • 375,748,62,2129いへとも、快復せるにより、四月伏見の御座所に參るのところ、再病發し
  • 1076,728,63,2150病を看すべきむね、恩命をかうふる、五月二日久能にをいて死去、年六十
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