『大日本史料』 12編 7 慶長十五年閏二月~同十六年三月 p.358

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は、井伊直政先鋒たり、清秀、内藤正成とおなしくこれに副ふ、この日、また, り、十月廿四日拜〓し、三河尾張兩國をよひ遠江國豐田郡のうちにをい, なふ、東照宮御覽ありて、御料の黒鹿毛の馬に鞍をきてたまふ、清秀すな, は、かならす勝利あらむと言上せしかは、東照宮その言をよしとしたま, はちその御馬にうちのり、所々の軍監をつとむ、四月九日長久手の役に, 級を實檢したまひ、諸將の武功を賞せらる、ときに清秀正成とゝもに御, ひ、すみやかに御旗をすゝめられ、大に撃て敵陣を敗る、御凱旋ありて、首, 斥候にむかふのところ、敵これを見て襲ひ來るにより、清秀馬上にて鎗, て、釆地千石をたまふ、十二年、尾張國小牧御陣のとき、内藤四郎左衞門正, 前にすゝみ、豐臣太閤は性勇敢なり、この敗れをきかは、かならす來り戰, 清秀斥候にむかふのとき、のるところの馬、敵の矢にあたりて足をそこ, 敵軍半はやふれ、半はいまた戰はす、前後離散す、このひまをうかゝひ討, をありせ、その敵をつきふせ、首を從士にとらしめ、御陣營に馳かへりて、, 成と共に御目付となり、諸卒を下知し、日々に敵地の形勢を窺ふ、ある日, ふべし、今御味方の士こと〳〵く倦つかる、しはらく士卒を休めたまふ, 慶長十五年七月十三日, 目付, 小牧役ノ, 役家康清, 長久手ノ, 秀ノ策ヲ, 用フ, 三五八

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  • 目付
  • 小牧役ノ
  • 役家康清
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  • 三五八

注記 (23)

  • 1086,677,77,2158は、井伊直政先鋒たり、清秀、内藤正成とおなしくこれに副ふ、この日、また
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