『大日本史料』 12編 24 元和二年二月~同年四月 p.215

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テ花美ニナク、大抵ニ結構ニスヘシト命シ給、, 義共を被仰置候とて、我ら廟所を將軍より被申付におゐては、始祖御廟な, 相見へ候ことく、御普請懸りの衆へ申談し、樣々と被仰出、〓前之御宮御建, れはとの義を以、定て作事等を結構に可被申付候へとも、夫は無用之事ニ, 考辨也、此旨ヲ以テ、輕ク經營セシムベキ旨ヲ命シ給フ、其後重昌、江戸ニ於, 之候へとも、餘りに輕き御宮居とあるは如何なれは、大抵結構なる宮居と, も有之間、其心得ヲ以、輕き宮居にをし置れ候やうにとの上意ニ付、御他界, 已後、江戸ニおゐて、將軍樣え其段内膳正被申上候所に、御尤なる仰ニは有, 候、我々子孫ニ至り、代々共に始祖の廟も増らぬ屋うにと有ル勘辨の爲, 作スヘカラス、是子孫ニ至迄、代々始祖ノ廟ニ勝ラヌ樣ニナサシメントノ, 和大居士法號、執行三七日佛供、後鎭坐日光山東照大權現宮、, テ、台徳公ニ是ヲ申上ルニ、深キ尊慮ナレ共、輕キモ宜シカラサレハ、衆議シ, 又板倉重昌ヲ召テ、吾廟ハ始祖ノ廟也トテ、華美ニ造, 國師深盟有年、冀依師之道力、頓悟於幽冥矣、依之他界後、師懇奉授徳蓮社道, 岩淵夜話〕三一權現樣、駿府ニ於て御不側之節、板倉内膳正へ御身後之, 〔明良洪範〕, ○上, 略, 〓〇上, ヲ華美ニ, 作ルコト, 家康廟所, 勿ラシム, 元和二年四月一日, 二一五

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  • ○上
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  • ヲ華美ニ
  • 作ルコト
  • 家康廟所
  • 勿ラシム

  • 元和二年四月一日

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  • 二一五

注記 (25)

  • 1239,657,57,1386テ花美ニナク、大抵ニ結構ニスヘシト命シ給、
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