『大日本史料』 12編 26 元和二年雑載~元和三年三月 p.779

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者は, は、櫻屋迚、今に江戸町に有云々、, 戸町へ移りしが、寛永の始に、抱の遊女廿人計り、并家屋敷家財を添、久しく, ○以下、元吉原ノ地理ニ關スルコト等ニカヽル、, 頃、抱の遊女廿よ人並家屋敷家財を添て、久敷召仕ひたる半三郎といふ手, れしなれども、内證は四千貫目にも近からんと申せし由、吉原開基して江, 相談にさのみすゝまぬもにくからず、表向は大躰三千貫目の分限といは, 代に讓り、其身は京都長者町へ引込み、福有に暮ける、此手代半三郎か遺跡, 榮えたり、手代半三郎が跡は、江戸町一丁目、今の櫻屋これなり、, 召仕たる手代半三郎といひし者に讓り、其身は京都長者町へ引越、富饒に, 又云、此岡田九郎左衞門は、其節元誓願寺前, へ引込へき覺悟也、然れ共吉原開基の砌は、一旦江戸町へ引越、寛永年中の, に居ける、此事を得心せぬ心は、此者は身代宜敷、行〳〵は京都, 元誓願寺前に居りしもの也、此, 〔北里見聞録〕上吉原發端之事, ○上略、莊司甚右衞門等、吉原草, 志ヘ相談セル記事ヲ承ク、上ニ收ム、, 今神田柳原, ○吉原開設ノ際、庄司甚右衞門ヨリ、同, 創ヲ企ツルコト等ニカヽル, の邊なり, 抱ノ遊女, 遊女屋ノ, 二十人, 富, 櫻屋, 元和三年三月是月, 七七九

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  • ○上略、莊司甚右衞門等、吉原草
  • 志ヘ相談セル記事ヲ承ク、上ニ收ム、
  • 今神田柳原
  • ○吉原開設ノ際、庄司甚右衞門ヨリ、同
  • 創ヲ企ツルコト等ニカヽル
  • の邊なり

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  • 抱ノ遊女
  • 遊女屋ノ
  • 二十人
  • 櫻屋

  • 元和三年三月是月

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  • 七七九

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