『大日本史料』 12編 30 元和四年是歳~元和五年六月 p.76

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信枚ト境界ノコトヲ議ス, 候、其樣子は, しんさいの相手にも、可罷成と申者無之由、其段申上候へは、かち候はんと, 候川井佐太夫指南之足輕、江戸ゟ罷下候、右近殿へ御直書有、我等も致拜見, 二ケ年合二千二百五十石、, 出羽久保田城主佐竹義宣、陸奧盛岡城主南部利直及ビ同弘前城主津輕, 六月廿八日、半右衞門所ゟ、去廿七申ノ刻之日付にて、今廿八申ノ刻參著、樣, 子は、古人共しんさんさいと極候はんと存候へは、大館之和多ゟ外と罷出、, 尚以しんさい不好、古人を申付出候へは、心ちろひまけ候はん事は可爲儀, 存詰たる古人さへ、境目之儀は、しんさい神慮なとにてはあぶなき儀こ候、, ○利家夫人高畠氏歿スルコト、慶長四年閏三月三日、前田利家薨去ノ, り構不申樣こと被仰遣候、二月四日之御日付也、, 又南部境、嶋田兵四郎殿、南部殿と被仰定、双方御下之上、互, こ御不足被有、境目御立可被成由、其以前如何樣成慮外致懸候共、こなたよ, 〔佐竹家臣梅津政景日記〕七二月十二日、伊藤外記罷上候時分同心被致, 條ニ見ユ、, 但京升四斗五升表、二千五, ○南部氏ト交渉ノコ, 百石ト、京升ノ石詰ニ〓, ト、コノ後所見ナシ, ○中, 略, 田利正佐, 竹南部兩, 家境界ノ, 町奉行島, 旋ス, 爭議ニ幹, 元和四年是歳, 七六

割注

  • 但京升四斗五升表、二千五
  • ○南部氏ト交渉ノコ
  • 百石ト、京升ノ石詰ニ〓
  • ト、コノ後所見ナシ
  • ○中

頭注

  • 田利正佐
  • 竹南部兩
  • 家境界ノ
  • 町奉行島
  • 旋ス
  • 爭議ニ幹

  • 元和四年是歳

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  • 七六

注記 (30)

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