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入道肱枕, 跡凡六段計ありて、石垣も亦殘れり、其御看經所の跡には、花園寺といへる, 適く、是秋、朝鮮の和議敗れ、復朝鮮を伐つ、九月、太閤、公をして國に就かしむ、, 御城代として爰に居る、, 加治木へ移らせらる、時に島津豐後守久賀に命して、地頭とす、今御居第の, 加徳島に會す、五年十月、關ケ原より帖佐へ歸り給ふ、十二年十一月十三日、, 利を兆するなりと、後果して新寨の大捷あり、六月、公朝鮮に至り、慈眼公に, の軍を守らしむ、六月、豐太閤に伏見に〓し、七月、栗野に歸り, 移り、今の地に第を搆へて、居住し給へり、公儉素を尚び、宮屋質朴、土人の宅, 地の如し、十九日、京師に如く、慶長元年正月十七日、大坂に至る、遂に伏見に, 生に次す、是夜雨降り、狐火〓に暗を照す、諸軍抃躍して曰、稻荷神預め我勝, 十月十日、公帖佐に歸る、二年二月二十一日、公再び朝鮮に如く、帖佐より蒲, 十二月、栗野より帖佐に, 修驗米良氏居住せり、, 鍋倉, 〔三國名勝圖會〕, 村にあり、文祿四年五月、松齡公朝鮮より御歸朝あり、慈眼公を留て、加徳島, 松齡公治所, 地頭館より, 子の方二町, 歸ると、然れども八月三日、松齡公、慈眼公に遺る御, ニハ、然枕ニ作ル, 書に、去月二十八日、栗野に至ると見ゆ、今是に從ふ, ○上ノ薩藩舊傳集, 舊記曰、八月二, 十八日、栗野に, 帖佐, 帖佐舊跡, 三十八大隅國始羅郡, 舊跡, 三十八, 帖佐, 元和五年七月二十一日, 二四二
割注
- 地頭館より
- 子の方二町
- 歸ると、然れども八月三日、松齡公、慈眼公に遺る御
- ニハ、然枕ニ作ル
- 書に、去月二十八日、栗野に至ると見ゆ、今是に從ふ
- ○上ノ薩藩舊傳集
- 舊記曰、八月二
- 十八日、栗野に
- 帖佐
- 帖佐舊跡
- 三十八大隅國始羅郡
- 舊跡
- 三十八
頭注
- 帖佐
柱
- 元和五年七月二十一日
ノンブル
- 二四二
注記 (34)
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