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のとへらる、八月二十一日、太閤より、また播磨、石見兩國のうちにをいて、, 日、太閤書ををくりて、炎天渡海乃勞をとひ、帷子、胴服を授く、十五日、唐嶋, にをいて、朝鮮の軍を破るにより、八月九日、書をあたべて、これを賞せら, 州乃川際にいたり、首三万八千七百餘級をうち取、こ乃とを明兵わつか, 〓若干なりしかは、九月十三日、また感状をとたはま、三年、父子泗川乃城, 石田治部少輔三成、三千石は細川幽齋ろ分を乃さき、五十五万九千五百, 分のろなゝものも、水に溺れて死す、これより蔚山等の圍みな解、一元、參, 長二年二月二十一日、義弘命をうじて、ぬたゝひ朝鮮におもむく、七月十, し〓、大筒をはなとしめ、急に撃て、おほいにこれを破り、にくるを追て、晉, とり、十月朔日、酒川城をせむ、義弘、家久とともに兵を發し、みつろら下知, 三十石餘、全く領知すへしとの朱印を下され、かり兜一頭をよひ茶入を, る、十五日、諸將南原城をせむるのとき、義弘父子、北嶺にをいて、敵をうつ, 三千石餘をとまはる、このとし、栗野より同國始羅郡帖佐城にうの〓、慶, 謀大夫龍涯をして、和を乞て、質を納、義弘これをゆなし、〓の質孟老爺か, に在陣す、九月十九日、明の將董一元等、二十万乃兵を率ゐて、晉州に陣を, 元和五年七月二十一日, 鮮渡海, 城ニ移ル, 日向帖佐, 再度ノ朝, 酒川ノ戰, 元和五年七月二十一日, 一五四
頭注
- 鮮渡海
- 城ニ移ル
- 日向帖佐
- 再度ノ朝
- 酒川ノ戰
柱
- 元和五年七月二十一日
ノンブル
- 一五四
注記 (23)
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