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にぬせ、山下にも伏兵を置、二町餘し〓けきて備を〓て、斥候を所々に設な、終夜陣を堅む, は、伏兵起りし、銕炮を發ち、兵士等奮戰して、薄田隼人正兼相を討取、ぼゐに後藤基次をも, 着し、これより感應寺に宿し、しは〳〵營に乃不〓ず、御氣色をうかゝふ、一日順の仰によ, 鷄鳴にをよむて、敵至なと告、ときに敵將後藤又兵衞基次片山乃もとより押きたりしか, 寺表にうつす、七日茶磨山近く軍をすゝめて、兵士等力戰し、首三百餘級を得〓り、〓きに, の事〓のみお不しめす乃む〓、仰ありのれは、政宗恩命のかとしきれきあまり落〓に及, 跡の掛幅を賜ふ、四月四日歸國の暇をたまひ、九日江戸に着し、五月四日江戸を發して仙, とに告、東照宮より豐島主膳某等况御使として陣營に下さま、こゝにをいて陣を道明, 給主組乃諸士、眞田左衞門佐幸村の兵と奮戰し、敵首二百級を得〓り、この日味方討死す, みシのまたおほし、政宗道明寺口の合戰勝利たるよし况本多正信同正純土井利勝かも, 次か黒半月乃指物を分捕す、〓その餘敵首數級を得たり、また政宗か旗本歩小性組鷹師組, ふ、こ乃とき君にも御悲歎の御けしきなり、稍ありて、あらかしめ御遺物としず、清拙か墨, 人御前にめされ時服をたまふ、四年六月十六日、台徳院殿より御書を下され、五男攝津, こ乃年まと御上洛の時も、さき〓ちて京師にいとお、六年乃春本城大手門をよひ升形二, 參内乃供奉をつとむ、十二月十三日振姫君嫡男忠宗かもとに入輿あるにより、十八日營, りて御前そ出ま、御藤乃うへにめされ、遠路の參候、その志のもかき事を感しさせ〓まひ, 台徳院殿いまた御年若くましますにより、よく心をつくして仕へたくまつるへし、, 臺にろへる、三年台徳院殿洛に乃不らせ〓まふ乃とき、あらかしめ京師におもむき、御, とゝまり、使をはせて、御旨を窺ふ乃とこあ、參るへしとの仰により、二十二日駿府に參, 臺を發し、十八日江戸にい〓り、十九日江戸を出て駿府におもむかんとすしはらく路次, 奉し、九月五日仙臺にかへお、二年二月五日東照宮御不豫のよし告來りしかは、十日仙, 點茶をはりて乃ち、廣間に出御、散樂を台覽あり、この日政宗にものをたまふ事若干れづ, 得るところを合せて、五百二十餘級を得ずたてまつる、其餘討すつるとこツ乃もの猶お, 重綱か兵銕炮をもつてうち落す、敵兵死骸を揚ず退くにより、首級を得すといへとも、基, にの不りて、この事を謝したてまつるのところ、別所貞宗の御脇指を賜ひ、こ乃日家臣二, 宗綱か喪戍吊らはせゑまふ、五年三月政宗か邸に渡御あり、まつ數寄屋にいらせたまひ、, 〓し、畠六月十九日參議にすゝみ、正四位下に昇り、二十一日台徳院殿御參内乃とき供, 助利勝について、六月下旬參府して、先にう巻た刄はりし普請場を巡視せんことをうか, 丸等の石垣乃普請をう〓〓まはる、四月二日暇〓ははりて歸國すといへとも、土井大炊, 附録, 附録, 五八六
柱
- 附録
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- 五八六
注記 (32)
- 1818,777,53,2125にぬせ、山下にも伏兵を置、二町餘し〓けきて備を〓て、斥候を所々に設な、終夜陣を堅む
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