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冬台徳院殿よ〓御鷹の鶴を恩賜せられ、五年三月父か邸に渡御のとき、包永乃御刀を, 月十日歸國のいとたをたまひ、守家の御刀を恩賜をらま、十二月朔日、參府の乃ち營にの, したつひたてまつり、八月十九日從四位下少將に昇進し、九月六日大猷院殿御參内乃, 台徳院殿政宗か郎に渡御あり〓、貞宗乃御刀を拜賜し、寛永元年二月二十日、大猷院, 月三日仙臺におもむく乃暇申せしかは、鶴捉乃御鷹を賜ふ、十二年六月二日安宅丸の御, 御所乃仰によりて、越前守にあらため、大猷院殿より無銘乃御腰物を賜名、二年四月二, とき、騎馬にて扈從し、禁裏より寮の御馬を賜ふ、四年九月十四日西城にをいて點茶を, 日父つもとに御書を下され、其功を賞せらは、七年三月居郎燒亡せなによ〓、白銀四千六, かしめ京師におもむき、七月十八日御參内の供奉に列す、このとき院乃御所より古備, 殿成せたまふのときも、一文字の御刀、御太刀一腰、馬一疋、時服二十領、白銀三百枚を恩賜, ひ、大猷院殿より保昌五郎乃御刀を恩賜せらる、三年兩御所乃御上洛に、父とゝもに, 酬院殿御參内乃とき、供奉し、のち禁裏よわ芭焦布ならひに薫物を〓まふ、十二月二十日, 船にめされて御遊宴あり、諸大名みれはなやかに裝ふて供奉す、忠宗も其列にあり、十三, 妙につつへたてまつあにより、封地相違なく忠宗そ〓ぬはる乃む〓仰下さる、七月二十, 十四日はしめて父か封地にゆく乃いと又裁〓③ひ、台徳院殿より貞宗の御脇指を賜, たまふ、乃ちしは〳〵西城及ひ二丸にめさ〓て、其席に列す、十一年六月、父とゝもにあら, 百五十枚を壹まふ、九年御上洛のとき、政宗とゝもにしたかひ〓てまつり、八月六日大, 前の御太刀裁壹まふ、閏七月二十九日二條城に乃ほるのところ、密事の仰をかうふる、十, 溪か畫に虚堂の贊せる三幅對乃掛幅を〓まつる、この日家臣十六人御前にいぼる、八, 〓るのとき、家臣三人御前にいつ、この年、先に父政宗うを〓まはれとこあ乃市谷赤坂等, ろの普請の事恩免あり、二十六日又老中土井利勝酒井忠勝をもつて、政宗御三代乃間神, をらり、忠宗よりも、太刀をよひ段子三十卷、白銀二百枚、馬一疋、號献す、六月二十三日、兩, 年五月十一日、父政宗所勞あるにより、阿部對馬守重次をしなこれをとはせ〓まひ、十六, これに代全て〓の事をつとめしにより、大倶梨迦羅廣光乃御刀裁〓まひ、十一月二十一, 日また太田備中守資宗をもつて〓つ〓たまふ、二十一日父の郎に渡御ありて、其病状を, 一日營に乃不りて襲封を謝し、父か遺物正宗の刀、鎬藤四郎乃脇指、山乃井肩衝乃茶入、牧, 御覽ありしとき、懇乃仰をかうぬる、二十四日政宗卒するのよしきこしめされ、老中酒井, 拜賜し、六年十月、先に政宗本城石垣乃普請をうけたヌはるとい〓とシ、在國〓るつゆへ, 讚岐守忠勝を下され、〓の喪をとぬらはせたまふ、こ乃日、けきに父かうを〓まはなとこ, 附録, 五九二
柱
- 附録
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- 五九二
注記 (31)
- 1789,772,54,2123冬台徳院殿よ〓御鷹の鶴を恩賜せられ、五年三月父か邸に渡御のとき、包永乃御刀を
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