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散樂を台覽あり、政宗に貞宗の御脇指、時服百領、白銀千枚を賜ひ、女子等にも綿二百把、白, され、鎌倉に至る、十年三月十九日入國のいとヌ申乃とき、輝東陽墨跡の掛幅を恩賜せら, 下野國喜連川まなおもむくのとこあ、御全快乃よしをきゝて、即時にか〓る、九年五月, 銀二百枚を恩賜せらる、十一日台徳院殿御成のときも、點茶及ひ散樂等の事のり、賜お, 大猷院殿より巣鷹二籠を賜ふ、七月七日營そ乃ほるのとき、小鷹狩をよむ川獵等をゆか, 不む舍先例乃ことし、八年八月台徳院殿御不豫乃告あるにより、二十一日仙臺を發し, 邸に渡御、宗茂長重等またしたかひ壹あまつる、この日も數寄屋にをいて茶を献し、終て、, ち、台徳院殿よりこ〓伐勞せらしゝ乃御書を〓まふ、七年四月六日、大猷院殿政宗の, 後守忠秋をもつず御鷹乃鶉雲雀况たまひ、さきに親しく容躰を御覽ありて、よあこひお, き、御相伴乃列に候す、この年末女を嫁するの事御旨をうかゝぬ乃ところ、六人の姓名を, 丹後守高國を請な智とけたむ、十二年正月十一日毛利甲斐守秀元とゝもに御數寄屋な, 十三年、赤坂麹町市谷堀浚ひ橋普請等を助きつとむへき乃む第仰をかうふり、三月朔日, 國乃脇指を献す、すてにして散樂あ里、又政宗小性ともの躍を台覽にそなへしかは、彼等, 利秀元をよひ道三法印等陪侍す、このとき侘助肩衝の茶入出〓まふ、政宗も長光の刀、久, 鍬はしめす、四月二十八日病をたす〓て參府するのとこ法、あくる日松平伊豆守信綱を, も、あらかしめ京師におシむき、七月十八日御參内乃供奉をつとむ、八月二日、近江國蒲生, し〓けり、政宗か望にまつすへきむ〓、酒井讚岐守忠勝をしてお不せ下さる、よ〓て京極, 〓、五月朔日營に乃不るのところ、御前ちつくめされ、懇乃仰をかう多る、退朝の後、阿部豐, に時服をよひ酒菓をたまふ、六月二十八日歸國乃暇壹まふのとき、當麻の御刀を拜領す, との御内慮あ〓しを、遠路速にまいりし事、御滿悦あり、ゆる〳〵保養をくはふへしとれ, をいず點茶を〓匁ふ、十六日柴舟と名つくる伽羅をたあまつ御乃ところ、御喜色あ里て, 月四日江戸そまいる、十月二十二日、二丸にをいて、水戸頼房卿饗膳をたさまつられし, 下され、政宗あ所勞御心もとれくお不しめすにより、すなに御使を仙臺に〓まはる〓し, 親筆乃御書を〓まふ、二十八日二丸乃御數寄屋にをいて御茶をたてまつ里、丹羽長重毛, 野洲兩郡乃うちにをいて五千石の地を加賜せらる、四日、陸奥國乃内にをいて六十万石, 物を下され、さきに〓まふ新恩の地を合せて、六十二万石餘を領す、十九日京師を發し、九, 〓、十一年四月三日立花飛騨守宗茂とゝもにめされて、點茶をたまふ、六月御上洛乃とき, 常陸近江兩國のうちにをい〓一万五千石、すへ〓六十一万五千石領知す〓きむ〓、御判, 附録, 五八九
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- 附録
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- 五八九
注記 (30)
- 1797,756,53,2121散樂を台覽あり、政宗に貞宗の御脇指、時服百領、白銀千枚を賜ひ、女子等にも綿二百把、白
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