『大日本古文書』 伊達家文書 10 伊達家文書之十 p.588

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邸そ渡御、藤堂和泉守高虎立花飛騨守宗茂丹羽五郎左衞門長重等陪從す、まの數寄屋な, ひ、女子等にも物をたまふ、九月三日台徳院殿よ〓、銕炮にてうたせためむし菱喰を〓, こふず家臣とす、十月五日、去年より所領刈田郡乃不忘山燒て鳴動すれことやます、こ〓, 九日西城の御數寄屋にをいて點茶をたまふ、後しは〳〵この事あり、三月十二日政宗か, もまた茶宴散樂等のり、政宗に御太刀一腰、馬一疋、白銀千枚、御衾五領、八丈縞百端をたま, たふ、十月二十五日歸國乃暇とまふのとき、粟田口法眼か畫〓お耕作圖乃御屏風一雙を, あり、二十六日大猷院殿にも成せ〓まひ、忠長卿をよひ高虎宗茂長重等豫參す、こ乃日, 宮の供奉に列す、四年、封地のうち若林といふところに、こふて邸宅をかまふ、五年正月十, 膳を献す、この日政宗に御太刀一腰、馬一疋、白銀千枚、時服百領を〓まひ、其餘家族にシ賜, 賀のゝち奥乃御座にめされ、しはらく密事伐かたらはせたまふ、酒井雅樂頭忠世土井利, 越谷に狩し〓まひ、政宗か鷹場、〓と近しとい〓とも、はゝかりなく遊獵すへき旨、土井利, により請〓明人王翼をして旅をしむるのところ、こ乃日巳の刻にいたりとそ乃ことや, 三年兩御所御上洛乃とき、また御先に候す、こ乃とき家臣柳生權右衞門嚴勝を驛路に, むかへ〓まはんかため御參内あなに、騎馬にて扈從し、十日還幸乃ときは、仰により〓姫, 〳〵逗留して、放鷹すへしと仰あ〓て、御鷹三居をたまひ、後久喜そおをむく、十二月六日, 留めて、通御のとき御氣色裁うかゝはしめしかは、嚴勝に時服をたまふ、八月十四日七男, む、二年九月二十日、これよりさを常陸國龍崎におもむき、江戸にか〓なの中途、銕炮にて, る、十九日從三位中納言に昇進す、九月六日二條城に行幸あなにより、大猷院殿鳳輩を, 賜ふ、六年二月大猷院殿痘瘡を患ひたまふよしきこせしかは、御氣色をうかゝはむ, 入せ〓まひ、點茶をはりて乃ち廣間に出御、散樂御覽あ〓、既にして御休息間にをいて御, ため、二十一日城地を發し安積郡郡山の驛にい〓刺のところ、すてに御快復あるのむ第, 茶をたまひ、御みつから酌をとりて酒盃をすゝめたまふ、十一月十五日西城に出仕し、拜, 勝この席にめしくはへらる、終て乃ち、よきお〓つらなれは、鷹場にいたり、年のうちゆる, 仰をう〓〓まはりて、四月より芝口日比谷口御門升形乃石壘を築く、八月八日成功し乃, 勝にをいそこれを献する乃とこツ、其一羽をは政宗にたまふ、十月十日西城にめされ、點, 勝奉書もて仰をぼ達ふ、八日御みつから銕炮にてう〓せたまふところの白鳥をたまふ, 得るところの雁二羽をもたらしきたり、いまた稀なるにより、御膳に供へむとて、土井利, 宗高痘瘡を患ぬるのよしきこしめされ、御心元れくおほしめすのむ〓、上使もて仰下さ, 告來れにより仙臺にかへる、のち江戸惣曲輪石垣等の普請始〓、諸大名これを役す、政宗, 附録, 五八八

  • 附録

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  • 五八八

注記 (31)

  • 742,762,49,2124邸そ渡御、藤堂和泉守高虎立花飛騨守宗茂丹羽五郎左衞門長重等陪從す、まの數寄屋な
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